カエルタイムズ第4号[地域](2005年10月25日発行)カエルゆかりの神社仏閣 炎天寺(東京・足立区)高山ビッキ
<一茶ゆかりの寺炎天寺とカエル>
今年(2025年)も11月に東京・足立区の炎天寺では恒例の一茶まつりが開催されました。今年で64回目。カエルタイムズでは2005年に取材させていただきました。
炎天寺 一茶まつりと蛙相撲
東武伊勢崎線竹ノ塚駅から歩いて10分ほどのところにある炎天寺。ここが江戸後期の俳人小林一茶(1763-1823)とゆかりのある寺だとわかったのは、一人の学生の好奇心からだった。
昭和37年のこと。当時、日本大学に在学していた野澤匡(のざわただし)氏は、「蝉鳴くや六月村の炎天寺」、そして「村雨や六月村の炎天寺」と詠まれた一茶の句を「一茶七番日記」の中に見つけ、六月村の炎天寺とはこの寺のことではないかと興味をもつ。今もこの寺の住所は足立区六月である。野澤氏は隣の町に住んでいて、子どもの頃はこの寺にもよく遊びに来ていた。
さらに「やせ蛙負けるな一茶是にあり」という句の、一茶の一番弟子が付けたとされる注釈に着目する。すると「武州竹ノ塚で戦いありけり云々」の文言があった。そして一茶とこの近辺の関係を探っていくとその交友関係も見えてきて、この句も炎天寺近辺で作られたという仮説を立てる。その説は当時一茶研究の権威だった荻原井泉水(おぎわらせいせんすい/1884-1976)昭和女子大教授のお墨付きも得て、新聞でも取り上げられた。先々代のご住職堅清和尚の頃の話である。
現在のご住職吉野秀彦氏は「この寺は平安時代後期に合戦の途中にこの地に立ち寄った源氏の将源義家が建立したとされています。炎天のさ中のことだったので炎天寺と命名されたといわれています。しかし、長い歴史のなかでは住職がいない時期もあり、一茶が自由に出入りし、ここで俳句を通して交友関係を結んでいったことは充分考えられます」と語る。
一茶は信濃国水内郡柏原村の農家の長男として生まれる。3歳で母を失い、8歳のときから継母に育てられたが折り合いが悪く14歳で江戸へ奉公に出た。放浪を重ねながらも、俳人として洒脱な作風が俳壇でも知られるようになる。しかし、都会の生活は苦しく、多くの文人墨客だちの支援を受けて生計を立てていたといわれる。その頃の一茶の姿がここ炎天寺近辺にあったと考えられる。
「境内に一茶と同じ時代に生きた実圓という人の句碑が残っているのですが、これが素人にしてはとても上手。一茶の手ほどきを受けていたと考えることもできるかもしれません」とさらなる想像を広げるご住職。
先々代和尚は、昭和37年に一茶の句碑を建て「一茶まつり」を開始し、先代孟彦和尚がまつりを全国規模にして現在に至っている。11月23日に行われる一茶まつりでは、全国小中学生俳句大会の表彰式や当日誰でも参加できる俳句コンテスト、蛙相撲などが行われる。「最近はカエルの寺としても知られるようになり、カエル愛好家の方もたくさんいらっしゃるようです。境内の池にはそっとカエルを寄贈される方もいて、朝起きてみると昨日までなかった大きな信楽焼のカエルが置かれていて驚いたこともありました」とご住職。
また、このお寺の池には主(ぬし)のような大きい黒い蛙と居候のトノサマガエルが住処としているらしい。当然、そのどちらかを小林一茶の化身と考えたくなるのが人情かもしれない。
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