1995年 美しい顎の物語
「美しい顎の物語」
片岡義男・文
僕が小説を書くことを仕事のようにして、二十年が経過した。小説には難しいこと、あるいはたいへんやっかいなことが、いくつかある。そのうちのひとつは、人の描写だ。
性格づけをそのまま書いて内面の描写とし、わかりやすい外形に言葉をあたえればそれで充分、というような小説もあるかと思うが、そうではない小説を試みようとすると、人を描写する作業はやはり難しい。
個人として独立して自分自身の世界を持った、美しく魅力的な女性をひとり、言葉で描写するのはたいへんだ。
陳腐にいくならひとつかふたつのパターンですべてをかたづけることは可能だが、ストーリーごとにそのような女性が登場する小説を書くとなると、どの女性もストーリーに合わせて微妙にあるいは決定的に異なっているはずだから、そのような差異も含めて、美しく魅力的な、独立した存在としての彼女を、そのつど僕は描写しなくてはならない。
彼女が裸でいるときの描写が、もっともやっかいだ。彼女には彼女の骨格があり、内臓がぎっちりと詰まってどれもみな正常に機能し、血管のなかには温度のある血液が流れ、神経が張りめぐらされ、皮下脂肪がすべてを包み込み、いちばん外側を肌がくるんでいる。
その造形は意志や目的を持ってさまざまに動く。彼女の全体像を伝えたいとき、いったいどこから手をつければいいのか。
一から始めて二に至り、二を経由して三へいく、というふうに冷静に淡々と言葉を積んでいくほかない。それでもなお、主観を巧みに客観に見せるような技法を、要所ごとに採択しなくてはならないだろう。
印象的に書く、という技法もストーリーの性格によっては、効果的に用いることが出来る。どこかひとつふたつ、せいぜい三つくらいを書くことをとおして、彼女の全体を読み手にイメージさせるのだ。
顔の出来ばえと意志のありかたを結ぶものとして、僕の技法には顎がある。美しい出来ばえの顎は、頭の形と密接につながっている。顎が良けれど頭の形も良く、そうであればその人はまず間違いなく美人だ。
強い意志を持った美しい人は、顎を手がかりにして、書くことが出来る。僕の顎コレクションから、ランダムに三点、披露してみよう。
(1995年4月住宅メーカーPR誌掲載)
※この文章は片岡義男さんの許可をいただいて掲載しております。無断転載を固く禁じいたします。 ※本サイトへのお問い合わせはケーアンドケーまで03(3981)6985
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