『カエルの学校』
作者◎森 壮已池(もりそういち)
発行:未知谷
岩手県盛岡生まれの森壮已池(本名・佐一)(1907-1999)は、岩手日報社で学芸欄を担当し、退社した後文筆活動に専念し、昭和19年に『蛾と笹舟』『山畠』の2作品で直木賞を受賞した作家である。
そして、この『カエルの学校』は、1952年に「岩手の警察」という官庁の雑誌に発表された作品である。これが創作される経緯についてはわからないが、掲載された雑誌の編集方針からだろう、舞台は「カエルの世界」であり、主に「カエルの学校」だが、語られるのは自殺や殺人、男女の色恋沙汰、教育問題や政治の退廃など妙に人間くさい。
これを単なる「カエルの擬人化」と捉えると、「人間社会の風刺」になってしまいちょっと寒々としてしまうのだが、初めにカエルの世界ありきで、そこから人間の世界を見るととても愉快になってくる。
人間界で有名な俳句「古池や蛙飛び込む水の音」についても、カエル界の文学者たちは人間の文学者とはちがう、さまざまな見解を唱えている。
「カエルは古池に飛び込む途中で蚊を何匹飲み込めるかという試験を試みていた」説。「失恋で世をはかなんでいたカエルがちょうど古池を見おろしたら大きな鯉がボカンと口を開けていたので飲み込まれてやろうと飛び込んだ」という自殺説。また、「人蛙(じんあ)一体説」もある。霊感のあるカエルが芭蕉の才能を見抜き、歴史に残る句をつくらせたいとその好機を伺い、芭蕉が句を詠もうとするまさにその瞬間にみごとなダイビングを行ったという説。
いろいろあるが、すべては取るに足らぬ俗論であり、これは文学的な問題ではなく、カエル族の生活に結びついていて、そのカエルは蚊を食べるために跳躍したのであって音を立てたのは第二次的な事件にすぎないという定説に落ち着いてきたという。もしその句がつくられたとき、本当に飛び込んだ蛙がいたとしたら、人間が想像しても堂々巡りになるだけだからその議論を早くやめにしてほしいと、カエル界の方々は思っているようなのである。
恋愛に関してもカエルは精神的に高度なレベルに達しているようだ。「カエルの世界の最高の哲学者トローベラールによりますと、人類もやがて何億年かたって身体のあらゆる部分から“毛”がなくなる時代が来ると、カエルのようにただじっと目を見合って精神的な恋愛をするようになるだろう」という深遠な説をもっている。
カエル界の一流新聞は『カエル夕陽新聞』(カエル界は夕陽以降の夜が活動時間だからこの名前になっているらしい)。その新聞社が提携先のテレビ局と行った座談会のことを描いたシーンがある。テーブルにはカエル界最高の料理人が作ったごちそうが並ぶ。「ボウフラのフライ。糸ミミズとツユ草の花の酢の物、トンボのしっぽのソーセージ。オケラの脳みその塩から。」これをおいしそうと思ったあなたは相当カエラー度が高いといえるだろう。
しかし、カエルがひとつだけ、人間にかなわないと思っていることがある。それは日本酒づくり。カエル界にもお酒はあるがそれは花蜜酒で、アルコール分はあるかなきかの微弱なものなのでとても酩酊できるような代物ではないらしい。「彼らの住み家も同然の水田に稔る米からその酒が造られるということが解っているのに、彼らが酒を造ることができないことが彼等の唯一の人間に対する劣等感」だという。その理由も明快。おいしい日本酒を造るには冬を越す必要があるのに、まさにその時期、カエルは土の中深く移動して冬眠しなければならないからだ。
東北は米どころ、酒どころ、そしてカエルどころである。岩手・盛岡ではカエルのことをビッキ、カエルの卵をゲェラゴというようだ。そんな自然に恵まれた盛岡を拠点に作家活動をした森壮已池。人間はときに、カエルの世界の自然法に照らし合わせてものごとを見てみることも大切かもしれない、と思わせてくれる作品である。
<宮沢賢治と森壮已池>
岩手県の文学者といえば花巻出身の宮沢賢治(1899-1976)を思い浮かべる人が多いだろう。宮沢賢治と森壮已池。二人には親交があった。森の才能は若くして聞こえ、旧制中学時代の大正14年に宮沢賢治の訪問を受けている。あの天才をして「あなたを尊敬しています」と言わしめた人。二人の交友は賢治が昭和8年に亡くなるまで続き、その後森は賢治作品と賢治に関する文章を発表し続け、賢治全集の編集にも関わる。
この作品『カエルの学校』は、2002年から2003年にかけて「もりおか啄木・賢治青春館」で「森 壮已池展」が開催されたのを機に再び注目されることとなった。 解説をみやこうせい、挿絵版画をたなかよしかずが担当している。
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