
❶鳥獣戯画丙巻より(写真協力 栂尾山高山寺)
益々関心が高まる「鳥獣戯画」
国宝「鳥獣戯画」に、カエルがウサギやサルと共に出番が多く、いきいきと活躍する様子が描かれていることは、カエル好きにとってこの上ない幸せです。
2015年には、東京国立博物館で特別展「鳥獣戯画ー京都・高山寺の至宝ー」が開催されました。足を運ばれた方も多いのではないでしょうか。平安末期から鎌倉初期に描かれた絵巻「鳥獣戯画」は、現在、4巻のうち甲巻と丙巻を東博で、乙巻と丁巻を京都国立博物館で寄託保管されています。京博では、2014年に「国宝 鳥獣戯画と高山寺」と題した展覧会が行われました。東西の国立博物館で時間を置かずに開催された「鳥獣戯画」展の見どころは大きく2つあったと窺えました。
そのひとつは、経年劣化が進んだこの絵巻に2009年から2013年3月まで朝日新聞文化財団の助成による平成の大修理が行われ、その完成報告としての4巻のお披露目。特に、その修理によって20枚の紙がつながって1つの巻を成していると見られていた丙巻が、元々は10枚の紙の裏表に人物画と動物画が描かれていたと解釈できる知見があったことです。
この解釈については、2011年に上野動物園にて100年カエル館が企画運営したトークイベント「日本美術に登場したかえるとかえるの擬人化」(主催 公益財団法人東京動物園協会、AArk、かえる文化研究所)で、この修理に関わった元京都国立博物館学芸部列品管理室長で絵巻の研究家の若杉準治氏の講演の中で紹介していただきました。(※この講演の内容は拙著『かえるる』の中に収録していますので、ご参考いただければ幸いです。)
「鳥獣戯画」のカエル好き的解釈をしてみますと……
もうひとつの大きな見どころは、この絵巻を京都・栂尾にある高山寺の寺宝のひとつとして、そこに伝わる同寺中興の祖、明恵上人ゆかりの文化財の数々とともにその世界を堪能できる点でした。
「鳥獣戯画」に対する興味の多くに、これを今や漫画やアニメの大国とされる日本の創造力のルーツと見て、改めてそこに何が描かれているのか検証する視点があると思います。ここ数年で発行されたこの絵巻に関する出版物もその点にスポットを当てたものがいろいろと見られたように思います。
しかし、最近は、そうした流れにあっても、時代を超えて見る人を楽しませる力のあるこの絵巻を誰が(絵巻4巻は時代をまたいで描かれ、筆致の違いなどから複数の作者の手になるものということは周知の事実になったので、むしろどういう立場の人が)、どういう目的で描いたのか、そこに興味を抱く人も増えているように思えます。
そこでこれまではあまり直接結びつけて語られることのなかった、明恵上人との関係の中でこの絵巻を捉えてみるという狙いが、東西の国立博物館で行われた「鳥獣戯画展」にはあったのではないかと拝察しています。
そんな折に、筆者もカエル好きの視点から、この絵巻について思うところがありましたので、戯画の中で遊ぶカエルの空想論としてお読みいただければ幸いです。
ここに掲載した画像❶は、同絵巻の平成の大修理で発見があった丙巻の最後に、ヘビとカエルが登場するシーンです。詞書がないので実際はどういう意図でこのシーンに至っているのかわからないのですが、「鳥獣戯画」についての出版物の多くは、そこに至るまで擬人化されてきたカエルが、ヘビの登場で天敵を怖れるその正体を表している、といった解説が付されています。
古い絵巻なので全体にシミ、ヨゴレ、ハガレが絵の墨線に影響しているところが多々あるのですが、このシーンに描かれているヘビのしっぽもシミのためか途切れているように見えます。筆者はこれを紙の劣化によるものではないのではないかと見てしまいました。
もし途切れた先に続けて描かれている部分が、ナメクジだとしたら・・・・・・。ヘビはナメクジが通った跡を避けるとか、その跡を通ると消えるといった通説もあったようなので、このシーンはカエルとヘビとナメクジが登場して「三すくみ」を表現しているのではないか、と思ったのです。
ヘビ(ヤマカガシでしょうか?)も逃げの姿勢をとっているように見えなくもない。もちろん、周囲の意見を聞けば、ヘビのしっぽの部分の線が消えているだけに見えると一蹴されるのですが、コレクターの性分か、「鳥獣戯画」と三すくみを結び付ける情報を集めないではいられなくなりました。
日本人の文化遺伝子としての三すくみ
さて、三すくみ(三竦み)とは? 『世界大博物図鑑③両生爬虫類』(荒俣 宏著 平凡社刊)によると、その起源はインドネシアやベトナムの昔話に遡ります。中国ではカエルとヘビとムカデで三すくみを成すと考えられていたようです。それが江戸時代初期に日本に入り、蛙と蛇と蛞蝓(なめくじ)の関係を、蛙は蛇に、蛇は蛞蝓に、蛞蝓は蛙に弱く身が竦むので動きがとれなくなる関係として伝えられています。
江戸時代には、歌舞伎の「児雷也」に描かれるガマの妖術とともに「三すくみ」がストーリーのベースになっていて、その演目の宣伝のための浮世絵をはじめ、葛飾北斎の絵「三竦の図」にもあるように絵師がそれをモチーフに描く機会も多かったと言えるでしょう。また、東京タワーの近くにある浄土宗寺院の宝珠院には、明治時代以前に作られたと見られるカエルとヘビとナメクジ、それぞれの石彫があり、明治時代に幼少期を過ごした小説家の中 勘助(なか かんすけ)はその作品『銀の匙』に、自身が遊んだと思われる三すくみの玩具のことを書いています。
明治以前、日本人の生活の中で「三すくみ」はとても身近な言葉だったと考えられます。
では、平成の今を生きる私たちの生活の中で「三すくみ」が使われることはなくなってしまったのでしょうか。
メディア報道等でこんな話題を見つけたことがあります。「フレミング」と言われると日本人は印を結ぶように三本の指を差し出すことが海外のSNSを通して都市伝説のように言われているのだそうです。日本では、他によく知る「フレミングさん」がいないので、すぐにフレミングの「電流と磁場に関する法則」と結びつくということはあると思うのですが、筆者はそのポーズに日本人が昔々、指を使って行った「虫拳」という、ジャンケンの元となる三すくみ拳の文化遺伝子が生きているからではないかと想像しました。
因みに、フレミングの法則の場合、親指と人差し指と中指を使いますが、虫拳は、親指でカエルを、人差し指でヘビを、そして小指でナメクジを示します。この三すくみが「鳥獣戯画」の謎を解く鍵になりはしないかと思ったのです。
「鳥獣戯画」に見る三すくみ
改めて三すくみについて調べようとすると、なかなか文獻を見つけられませんでした。たまたま手にした1冊が、オーストリア出身の日本学者、セップ・リンハルト氏が日本語で著した『拳の文化史』(1998年発行、角川叢書)です。
拳とは、前述した虫拳のように3つの強弱関係、つまり三すくみから勝負を決める遊びで、リンハルト氏の著書を読むと虫拳以外にももっと多様な遊び方の形態があったようですが、今一般に伝わっているのがジャンケンということになります。
もちろん、今では英語圏にもジャンケンは伝わっていて、日本語のグー・チョキ・パーをそのままRock(岩)・Scissors(鋏)・Paper(紙)と英訳して行われるようですが、簡単に勝負をつけたいときに使うのはコインの裏表。リンハルト氏は同書執筆の動機として、30年以上も日本研究をしてきてジャンケン遊びをしたことのない日本人に会ったことがないと書き、「三竦みの思想を深層で内面化している」日本人にいたく興味をもったようでした。
この辺りの着目のしかたは、「フレミング」という名前に、3本の指で反応する日本人に対する海外の人のおもしろがり方に似ていて、「三すくみ」が日本人特有の文化的な遺伝子とつながるものである可能性を感じます。
そして、その元を辿れば「鳥獣戯画」の世界に行き着くのではないかというのが、今回、「カエル」に導かれるように空想したことです。
この絵巻には、動物画として当時日本にはいなかった象をはじめ、豹、獅子、虎、獏、青竜など、想像上の動物も含め中国伝来の仏教画像として異国の動物たちが描かれています。また、人物画には、さまざまな遊びのシーンが描かれるなかに、発祥が中国も根強い囲碁をしている人々も見られます。
『拳の文化史』によれば、中国の五代(907~960)の後漢時代には、すでに三竦み拳に似ている拳遊びが酒宴の席で行われていた記録があります。10世紀末に成った『五代史』の中に、日本に伝わった拳の模範になったものの記録もあるので、この遊びは9世紀の唐代にもあったと推定でき、7~9世紀に大陸の文化を輸入するために派遣された遣唐使が拳を知る機会はたくさんあっただろうと推論しています。この絵巻に描かれた遊びの中に、拳が入り込んでいる可能性も高いと想像できます。
しかし、その「拳」も含む遊びを紹介することだけが「鳥獣戯画」の目的ではないとしたら、その遊びも日本流に浸透した12世紀、時はまさに平安から鎌倉への転換期、「三すくみ」的発想を子どもも含めた人々にわかりやすく教える目的がこの絵巻にあったと考えることはできないでしょうか。
この絵巻で今なお最も人気のあるカエルとウサギとサルが中心になって繰り広げるシーン。弓や相撲などいろいろな競技を行っているなかで、最終的には勝者、敗者がなく皆平等に描かれている点も、強者弱者を内包した三すくみに通じる自然界の生態系が、争いを避ける仏教的な知恵につながっていると見ることはできないでしょうか。
「鳥獣戯画」と自然界の知恵
高山寺は明恵上人ゆかりの真言密教の寺院であり、真言密教の開祖、空海につながります。
そして、拳も密教に深く関わっていることが、今回、「鳥獣戯画」と三すくみについて考えて知ることができました。山伏が山に入るときに自分を守る言葉を唱えながら拳のように手で何かを表現することがあったといいます。
密教には三密という3つの行為があり、「身密」は手に印を結ぶ、「口密」は口に真言を唱える、「真密」は心に本尊を観念することだそうです。この3つが「鳥獣戯画」の中のカエルやサルの行動(画像❷❸)に表現されているように思えました。
三すくみは、自然界における食うか食われるかの関係にも通じる、命がけのきびしい考え方に基づいているのかもしれません。その中には諦めもあれば、敗者復活のチャンスもある。巡り巡ってバランスが保たれるマクロコスモス的視野を感じます。
今も「鳥獣戯画」に日本人が魅かれるのは、この絵巻に自然との共生を願う三すくみの知恵が生きているからではないでしょうか。

❷印を結んでいるようにも見えるカエルの御本尊と真言を唱えているようなサルの僧正(甲巻より)

❸人間の僧侶がお経を上げるときの御本尊もカエルに見えないことはない(丁巻より)
(写真協力 栂尾山高山寺)
(本稿は、日本両生類研究会発行の「両生類誌」No.27に掲載した内容に加筆修正しております。)
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<関連サイト>
「100年カエル館」 http://kaeru-kan.com
※Webミュージアムでは2011年に福島県立博物館で開催した「喜多方『100年カエル館』コレクション展」を画像でご覧いただいております。
「カエ~ル大学」http://kaeru-kan.com/kayale-u
「コトバデフリカエル」http://kaeru-kan.cocolog-nifty.com/kotobadefurikaeru ※エッセイで時代をふりかえるサイトです。
カエル大学通信 www.mag2.com/m/0001378531.html
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