文化・芸術

画業50周年の久保修さんと切り絵のカエル

Photo_20210710160401

「笑談」(久保修作)

切り絵という美術表現のジャンルは、古今東西に見られ、カエルが表現されていることもあります。中国では漢代から作られていたようで、カエルの神話が遺る陜西省には13番目の干支とも云われるカエルが十二支の真ん中に据えられた切り紙なども伝えられています。100年カエル館にも中国やオランダの切り絵のカエルや、日本には寄席の紙切り芸があり、その第一人者の林家正楽師匠にカエルをテーマに切っていただいた作品、そして、現在、切り絵作家として国際的に活躍している久保修さんによる蓮と蛙を表現した作品を収蔵しています。

今の季節、大賀ハス(古代ハス)の開花の話題も聞こえてきますが、その古代の自然風景も蘇るような大きな葉の上で開花を喜ぶような2匹の蛙。久保さんは誰の心にもある日本の風景や風物を切り絵という表現を通じて、多くの日本人にとっては記憶のような、海外へは日本の再発見につながるようなイメージを「紙のジャポニスム」として創作し続けています。その画業は今年で50年。久保さんのオフィシャルサイトhttp://www.shu-kubo.com/ では、作品ギャラリーの「日本の風景」のさまざまな作品とともに、この蓮の上の2匹の蛙を表現した作品「笑談」を見ることができます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<関連サイト>

「100年カエル館」 http://kaeru-kan.com

「カエ~ル大学」http://kaeru-kan.com/kayale-u

「コトバデフリカエル」http://kaeru-kan.cocolog-nifty.com/kotobadefurikaeru

※現在、「コトバデフリカエル」では「カエル白書」Vol.3を配信中です。

 

|

「エドゥアール・サンド彫刻展」(1995年東京都庭園美術館にて開催)のカエル

30_20201223095201

「カエルのアコーディオン弾き」1932年ブロンズ(東京都庭園美術館図録より転載)

今からちょうど四半世紀前の1995年に東京都庭園美術館で「動物たちのシンフォニー エドゥアール・サンド彫刻展」が開催されました。最近、その展覧会図録を手にすることができました。

スイス生まれの彫刻家、エドゥアール・マルセル・サンド(1881-1971)。日本ではあまり知られていないのではと思いますが、それも当然でこの展覧会が日本で初めてサンドを紹介したものでした。その図録を見て、ワカガエルことができるならすぐにでも25年前に戻り、この展覧会会場に直行したいと切望しました。

このアーティストの手になるさまざまな動物彫刻作品の展示のなかには、カエルやカエルグッズ好きを魅了せずにはいられないような、カエルを表現した作品も十数点観ることができたのです。たとえば人間のように楽器を演奏したり、ダンスを踊ったりするカエルや、ラピスラズリやマダガスカル産水晶原石などの美しい石材を使用して造形したカエルのオブジェ、無骨にもユーモラスにも見えるヒキガエルのランプ、そして学生の頃の作品では、カエルを捕えた少年を白大理石で古典的に表現した作品もありました。

30_20201223104301

「ヒキガエル」ランプ(東京都庭園美術館図録より転載)

同展図録を通してサンドについて知り、「動物彫刻」という領域の日本とヨーロッパの美術史における位置づけの違いや、もちろん本ブログとしてはカエルの動物彫刻について楽しい想像を巡らせる機会となりました。

サンドは「アール・デコの時代の動物彫刻家として知られている」(同展図録「彫刻家エドゥアール・サンドと装飾美術」高波眞知子)のですが、アール・デコの前のアール・ヌーボーの時代には、ガラス工芸という立体表現にカエルの装飾を施していたエミール・ガレ(1846-1904)がいます。(2005年に開催された「フランスの至宝―エミール・ガレ展」では、その磁器作品「大杯(カエル)」に心射抜かれ「カエルタイムズ」創刊号に紹介したことがあります。

サンドは若い頃、ガレの下で修業をしたいとその門を叩いています。しかし、その時ガレはすでに余命わずかで願いは叶いませんでした。

ガレとサンドが遺した魅力的なカエルたちに思いを馳せながら、「エドゥアール・サンド展」が再び日本で開催される日を待ちたいと思いました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<関連サイト>

「100年カエル館」 http://kaeru-kan.com

「カエ~ル大学」http://kaeru-kan.com/kayale-u

「コトバデフリカエル」http://kaeru-kan.cocolog-nifty.com/kotobadefurikaeru

※現在、「コトバデフリカエル」では「カエル白書」Vol.3を配信中です。

カエル大学通信 www.mag2.com/m/0001378531.htm  

 

 

|

北村西望作品《カエルと木の葉》に平和の大切さを考える

30_20200809093701

北村西望作《カエルと木の葉》大正中期~昭和初期 石膏着色(井の頭自然文化園蔵)

8月9日の今日は今年も長崎市の平和公園で平和祈念式典が開催されました。その式典の様子はテレビで報道されましたが、今年も長崎県出身の彫刻家、北村西望による高さ10メートル近くある長崎平和祈念像が式典を見守るように映し出されました。

北村西望(きたむらせいぼう)は、このブログで7月10日に紹介させていただいたように、画家の奥村土牛とは生年・没年が3年から5年の違いで、どちらも明治から昭和の終わり頃まで100歳を超える長寿の芸術家人生を歩みました。

今回紹介している画像は、北村西望作《カエルと木の葉》(大正中期~昭和初期 石膏着色)で、所蔵先の井の頭自然文化園のご協力を得て掲載いたしております。

一方でその名前のように人生を牛の歩みになぞらえた土牛と、もう一方の西望が自らの人生の師に見立てたのは蝸牛(=カタツムリ)。長崎県島原市の玉宝寺の聖観音像の台座には「たゆまざる 歩み恐ろし カタツムリ」という西望百歳のときに書いた座右の銘があります(前坂俊之オフィシャルサイトより)。

平和を願う強いエネルギーで巨大な平和祈念像を完成させたこの彫刻家が、小さくて歩みののろいカタツムリに自らの生きざまを重ねていたことを知り、《カエルと木の葉》にも同様にカエルという小動物へのあたたかなまなざしを感じました。

この作品がつくられたとされる大正中期から昭和初期にかけて、北村西望は彫刻家として着実な評価を得て大正10年には母校の東京美術学校の教授に就任するなど教育者としての立場にもあるなかで、日本の美術界が西洋から導入した彫刻の普及活動に力を入れている時代でした。当時、そのために作られ、白木屋(東急百貨店)と三越で販売されたのが、この作品のように日本人が江戸時代から慣れ親しんだ小動物の造形も含めた置物でした。

井の頭自然文化園彫刻園学芸員の土方浦歌さんに伺うと「この作品は《平和祈念像》のように、広場で遠くから誰でも眺められる記念碑とは違い、個人の家の床の間や飾り棚に置いて鑑賞する、上から見た視覚イメージで制作されています」と解説してくださいました。

北村西望が制作した大きな《平和祈念像》と小さな生きものを表現した《カエルと木の葉》に、8月9日の今日、改めて彫刻家が伝えようとした平和の意味を考えたいと思いました。

<関連サイト>

「100年カエル館」 http://kaeru-kan.com

「カエ~ル大学」http://kaeru-kan.com/kayale-u

「コトバデフリカエル」http://kaeru-kan.cocolog-nifty.com/kotobadefurikaeru

※現在、「コトバデフリカエル」では「カエル白書」Vol.3を配信中です。

カエル大学通信 www.mag2.com/m/0001378531.htm

|

[鳥獣戯画」の謎解きにカエルが挑戦⁈

2019_20200519094201

 先週の日曜日(2020年5月17日)に、NHK総合で『謎の国宝 鳥獣戯画 楽しいはどこまで続く?』が放送されました。この番組のナビゲーター役を務めたのは絵巻の中からとび出した「カエルくん」。ご覧になったカエル好きの方も多いのではないでしょうか。

 番組の中で「カエルくん」は絵巻を所蔵する高山寺(京都市)を訪ねるのですが、そこで応対されていた方が高山寺の田村執事長。田村さんには、私たち高山姉妹も100年カエル館を創設する2年ほど前の2002年に、当時東京・アークヒルズに開設されたばかりの京都館で「京都の美術史に登場するカエルたち」を開催したときにとてもお世話になりました。

 同ブログの姉妹ブログ「コトバデフリカエル」では、現在、カエ~ル大学2019年の講座の内容などをまとめた「カエル白書Vol.3」を配信していますが、昨日はアップした「かえるモノ語り歳時記2019年9月」では<柴田作品の中で愉しく進化して、カエルは仏様に。>の内容の中でそのときのことにもふれておりますのでお読みいただければ幸いです。

http://kaeru-kan.cocolog-nifty.com/kotobadefurikaeru

 また、本当に興味の尽きない「鳥獣戯画」については、このブログでは以前「『鳥獣戯画』についてのカエル好きの空想」(両生類誌NO.27初出)を掲載しております。

http://kaeru-kan.cocolog-nifty.com/vikki/cat21214264/index.html

<関連サイト>

「100年カエル館」 http://kaeru-kan.com

「カエ~ル大学」http://kaeru-kan.com/kayale-u

「コトバデフリカエル」http://kaeru-kan.cocolog-nifty.com/kotobadefurikaeru

※現在、「コトバデフリカエル」では「カエル白書」Vol.3を配信中です。

カエル大学通信 www.mag2.com/m/0001378531.html

 

 

|

■「鳥獣戯画」についてのカエル好きの空想

Photo

 ❶鳥獣戯画丙巻より(写真協力 栂尾山高山寺)

益々関心が高まる「鳥獣戯画」

国宝「鳥獣戯画」に、カエルがウサギやサルと共に出番が多く、いきいきと活躍する様子が描かれていることは、カエル好きにとってこの上ない幸せです。

2015年には、東京国立博物館で特別展「鳥獣戯画ー京都・高山寺の至宝ー」が開催されました。足を運ばれた方も多いのではないでしょうか。平安末期から鎌倉初期に描かれた絵巻「鳥獣戯画」は、現在、4巻のうち甲巻と丙巻を東博で、乙巻と丁巻を京都国立博物館で寄託保管されています。京博では、2014年に「国宝 鳥獣戯画と高山寺」と題した展覧会が行われました。東西の国立博物館で時間を置かずに開催された「鳥獣戯画」展の見どころは大きく2つあったと窺えました。

そのひとつは、経年劣化が進んだこの絵巻に2009年から2013年3月まで朝日新聞文化財団の助成による平成の大修理が行われ、その完成報告としての4巻のお披露目。特に、その修理によって20枚の紙がつながって1つの巻を成していると見られていた丙巻が、元々は10枚の紙の裏表に人物画と動物画が描かれていたと解釈できる知見があったことです。

この解釈については、2011年に上野動物園にて100年カエル館が企画運営したトークイベント「日本美術に登場したかえるとかえるの擬人化」(主催 公益財団法人東京動物園協会、AArk、かえる文化研究所)で、この修理に関わった元京都国立博物館学芸部列品管理室長で絵巻の研究家の若杉準治氏の講演の中で紹介していただきました。(※この講演の内容は拙著『かえるる』の中に収録していますので、ご参考いただければ幸いです。)

「鳥獣戯画」のカエル好き的解釈をしてみますと……

もうひとつの大きな見どころは、この絵巻を京都・栂尾にある高山寺の寺宝のひとつとして、そこに伝わる同寺中興の祖、明恵上人ゆかりの文化財の数々とともにその世界を堪能できる点でした。

「鳥獣戯画」に対する興味の多くに、これを今や漫画やアニメの大国とされる日本の創造力のルーツと見て、改めてそこに何が描かれているのか検証する視点があると思います。ここ数年で発行されたこの絵巻に関する出版物もその点にスポットを当てたものがいろいろと見られたように思います。

しかし、最近は、そうした流れにあっても、時代を超えて見る人を楽しませる力のあるこの絵巻を誰が(絵巻4巻は時代をまたいで描かれ、筆致の違いなどから複数の作者の手になるものということは周知の事実になったので、むしろどういう立場の人が)、どういう目的で描いたのか、そこに興味を抱く人も増えているように思えます。

そこでこれまではあまり直接結びつけて語られることのなかった、明恵上人との関係の中でこの絵巻を捉えてみるという狙いが、東西の国立博物館で行われた「鳥獣戯画展」にはあったのではないかと拝察しています。

そんな折に、筆者もカエル好きの視点から、この絵巻について思うところがありましたので、戯画の中で遊ぶカエルの空想論としてお読みいただければ幸いです。

ここに掲載した画像❶は、同絵巻の平成の大修理で発見があった丙巻の最後に、ヘビとカエルが登場するシーンです。詞書がないので実際はどういう意図でこのシーンに至っているのかわからないのですが、「鳥獣戯画」についての出版物の多くは、そこに至るまで擬人化されてきたカエルが、ヘビの登場で天敵を怖れるその正体を表している、といった解説が付されています。

古い絵巻なので全体にシミ、ヨゴレ、ハガレが絵の墨線に影響しているところが多々あるのですが、このシーンに描かれているヘビのしっぽもシミのためか途切れているように見えます。筆者はこれを紙の劣化によるものではないのではないかと見てしまいました。

もし途切れた先に続けて描かれている部分が、ナメクジだとしたら・・・・・・。ヘビはナメクジが通った跡を避けるとか、その跡を通ると消えるといった通説もあったようなので、このシーンはカエルとヘビとナメクジが登場して「三すくみ」を表現しているのではないか、と思ったのです。

ヘビ(ヤマカガシでしょうか?)も逃げの姿勢をとっているように見えなくもない。もちろん、周囲の意見を聞けば、ヘビのしっぽの部分の線が消えているだけに見えると一蹴されるのですが、コレクターの性分か、「鳥獣戯画」と三すくみを結び付ける情報を集めないではいられなくなりました。

日本人の文化遺伝子としての三すくみ

さて、三すくみ(三竦み)とは? 『世界大博物図鑑③両生爬虫類』(荒俣 宏著 平凡社刊)によると、その起源はインドネシアやベトナムの昔話に遡ります。中国ではカエルとヘビとムカデで三すくみを成すと考えられていたようです。それが江戸時代初期に日本に入り、蛙と蛇と蛞蝓(なめくじ)の関係を、蛙は蛇に、蛇は蛞蝓に、蛞蝓は蛙に弱く身が竦むので動きがとれなくなる関係として伝えられています。

江戸時代には、歌舞伎の「児雷也」に描かれるガマの妖術とともに「三すくみ」がストーリーのベースになっていて、その演目の宣伝のための浮世絵をはじめ、葛飾北斎の絵「三竦の図」にもあるように絵師がそれをモチーフに描く機会も多かったと言えるでしょう。また、東京タワーの近くにある浄土宗寺院の宝珠院には、明治時代以前に作られたと見られるカエルとヘビとナメクジ、それぞれの石彫があり、明治時代に幼少期を過ごした小説家の中 勘助(なか かんすけ)はその作品『銀の匙』に、自身が遊んだと思われる三すくみの玩具のことを書いています。

明治以前、日本人の生活の中で「三すくみ」はとても身近な言葉だったと考えられます。

では、平成の今を生きる私たちの生活の中で「三すくみ」が使われることはなくなってしまったのでしょうか。

メディア報道等でこんな話題を見つけたことがあります。「フレミング」と言われると日本人は印を結ぶように三本の指を差し出すことが海外のSNSを通して都市伝説のように言われているのだそうです。日本では、他によく知る「フレミングさん」がいないので、すぐにフレミングの「電流と磁場に関する法則」と結びつくということはあると思うのですが、筆者はそのポーズに日本人が昔々、指を使って行った「虫拳」という、ジャンケンの元となる三すくみ拳の文化遺伝子が生きているからではないかと想像しました。

因みに、フレミングの法則の場合、親指と人差し指と中指を使いますが、虫拳は、親指でカエルを、人差し指でヘビを、そして小指でナメクジを示します。この三すくみが「鳥獣戯画」の謎を解く鍵になりはしないかと思ったのです。

「鳥獣戯画」に見る三すくみ

改めて三すくみについて調べようとすると、なかなか文獻を見つけられませんでした。たまたま手にした1冊が、オーストリア出身の日本学者、セップ・リンハルト氏が日本語で著した『拳の文化史』(1998年発行、角川叢書)です。

拳とは、前述した虫拳のように3つの強弱関係、つまり三すくみから勝負を決める遊びで、リンハルト氏の著書を読むと虫拳以外にももっと多様な遊び方の形態があったようですが、今一般に伝わっているのがジャンケンということになります。

もちろん、今では英語圏にもジャンケンは伝わっていて、日本語のグー・チョキ・パーをそのままRock(岩)・Scissors(鋏)・Paper(紙)と英訳して行われるようですが、簡単に勝負をつけたいときに使うのはコインの裏表。リンハルト氏は同書執筆の動機として、30年以上も日本研究をしてきてジャンケン遊びをしたことのない日本人に会ったことがないと書き、「三竦みの思想を深層で内面化している」日本人にいたく興味をもったようでした。

この辺りの着目のしかたは、「フレミング」という名前に、3本の指で反応する日本人に対する海外の人のおもしろがり方に似ていて、「三すくみ」が日本人特有の文化的な遺伝子とつながるものである可能性を感じます。

そして、その元を辿れば「鳥獣戯画」の世界に行き着くのではないかというのが、今回、「カエル」に導かれるように空想したことです。

この絵巻には、動物画として当時日本にはいなかった象をはじめ、豹、獅子、虎、獏、青竜など、想像上の動物も含め中国伝来の仏教画像として異国の動物たちが描かれています。また、人物画には、さまざまな遊びのシーンが描かれるなかに、発祥が中国も根強い囲碁をしている人々も見られます。

『拳の文化史』によれば、中国の五代(907~960)の後漢時代には、すでに三竦み拳に似ている拳遊びが酒宴の席で行われていた記録があります。10世紀末に成った『五代史』の中に、日本に伝わった拳の模範になったものの記録もあるので、この遊びは9世紀の唐代にもあったと推定でき、7~9世紀に大陸の文化を輸入するために派遣された遣唐使が拳を知る機会はたくさんあっただろうと推論しています。この絵巻に描かれた遊びの中に、拳が入り込んでいる可能性も高いと想像できます。

しかし、その「拳」も含む遊びを紹介することだけが「鳥獣戯画」の目的ではないとしたら、その遊びも日本流に浸透した12世紀、時はまさに平安から鎌倉への転換期、「三すくみ」的発想を子どもも含めた人々にわかりやすく教える目的がこの絵巻にあったと考えることはできないでしょうか。

この絵巻で今なお最も人気のあるカエルとウサギとサルが中心になって繰り広げるシーン。弓や相撲などいろいろな競技を行っているなかで、最終的には勝者、敗者がなく皆平等に描かれている点も、強者弱者を内包した三すくみに通じる自然界の生態系が、争いを避ける仏教的な知恵につながっていると見ることはできないでしょうか。

「鳥獣戯画」と自然界の知恵

高山寺は明恵上人ゆかりの真言密教の寺院であり、真言密教の開祖、空海につながります。

そして、拳も密教に深く関わっていることが、今回、「鳥獣戯画」と三すくみについて考えて知ることができました。山伏が山に入るときに自分を守る言葉を唱えながら拳のように手で何かを表現することがあったといいます。

密教には三密という3つの行為があり、「身密」は手に印を結ぶ、「口密」は口に真言を唱える、「真密」は心に本尊を観念することだそうです。この3つが「鳥獣戯画」の中のカエルやサルの行動(画像❷❸)に表現されているように思えました。

三すくみは、自然界における食うか食われるかの関係にも通じる、命がけのきびしい考え方に基づいているのかもしれません。その中には諦めもあれば、敗者復活のチャンスもある。巡り巡ってバランスが保たれるマクロコスモス的視野を感じます。

今も「鳥獣戯画」に日本人が魅かれるのは、この絵巻に自然との共生を願う三すくみの知恵が生きているからではないでしょうか。

Photo

❷印を結んでいるようにも見えるカエルの御本尊と真言を唱えているようなサルの僧正(甲巻より)  

Photo_2

❸人間の僧侶がお経を上げるときの御本尊もカエルに見えないことはない(丁巻より)

(写真協力 栂尾山高山寺)

 (本稿は、日本両生類研究会発行の「両生類誌」No.27に掲載した内容に加筆修正しております。)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

※新刊『ときめくカエル図鑑』(山と渓谷社刊 文・高山ビッキ 写真・松橋利光)販売中です。どうぞよろしくお願いします。

Photo

-----------------------------------------------

<関連サイト>

「100年カエル館」 http://kaeru-kan.com

※Webミュージアムでは2011年に福島県立博物館で開催した「喜多方『100年カエル館』コレクション展」を画像でご覧いただいております。

「カエ~ル大学」http://kaeru-kan.com/kayale-u

「コトバデフリカエル」http://kaeru-kan.cocolog-nifty.com/kotobadefurikaeru ※エッセイで時代をふりかえるサイトです。

カエル大学通信 www.mag2.com/m/0001378531.html 

※『かえるる カエルLOVE111』(山と渓谷社)全国の書店等で販売中です。

 

Cover_obiariweb

 

|

■「江戸妖怪大図鑑」に見る江戸時代の“カエル文化”の豊かさ

Photo

現在、太田記念美術館(東京・原宿)では、「江戸妖怪大図鑑」と題した浮世絵展を開催中(~2014年9月25日)です。同展は、期間を第1部の「化け物」、第2部の「幽霊」、第3部の「妖術使い」に分けて開催されています。

すでに終了した「化け物」の展示には、歌川貞秀や歌川国芳による「源頼光館土蜘蛛妖怪図」の中に、カエルが登場していました。謡曲『土蜘』で知られる、熱病に伏す源頼光の屋敷に土蜘蛛の妖怪が現れるシーンを主題に、貞秀も国芳も典拠にはない妖怪たちを描いています。貞秀の絵にはナメクジと相撲をとるカエルが・・・・・・。行司がヘビなので三すくみになり、三者動けず相撲が始まらない滑稽さがにじみ出ています。国芳の絵には、二手に分かれて合戦をする化け物たちのなかにカエルもいます。また、薬と病気の合戦を擬人化した「よくきく薬種」(関斎)には、労咳を倒している蛙の黒焼きが描かれています。

しかし、カエル好きのための最大の見せ場はこれからです。8月30日(土)から始まる第3部の「妖術使い」。武者絵や役者絵として描かれた天竺徳兵衛、平太郎良門と滝夜叉姫、児雷也といった蝦蟇の妖術使いとともに、これでもかというほどたくさんのカエルと遭遇できそうです。

掲載した画像は歌川芳虎「肉芝仙人より妖術を授かる図」(個人蔵)です。真ん中に座るのが蝦蟇の精霊である肉芝仙人。妖術を授かっているのは平将門の遺児平良門(右)。左はその仲間伊賀寿太郎。合戦を繰り広げる蝦蟇たちが何やら楽しそう(にも見えます)。

これ以外に展示された30点以上の作品にカエルが描かれ、しかも作品によっては妖術によって小石や懐紙がカエルに変えられている様子が描かれているので、カエルの数は相当なものになるでしょう。

妖怪とカエル(特にガマ=ヒキガエル)がもつ共通性は、一種の不気味さということになるでしょうか。もしかすると、それらは明治以降、前近代的なものとして排除されて行ったのかもしれません。けれども、今回の展示などを通して改めてガマをはじめとする妖怪たちの姿を目にすると、現在人気のあるゆるキャラに通じる愛らしささえ感じます。それを描いた江戸の絵師たちが、本来の画題や意図とは別に妖怪を描くことを楽しんでいたのではないかと想像してしまいます。そして、カエルは妖怪表現に欠かせないモチーフだったとすると、江戸後期には豊かな“カエル文化”が花開いていたということができるかもしれません。(高山ビッキ)

※参考文献:『江戸妖怪大図鑑』(太田記念美術館発行)

※画像提供:太田記念美術館

「江戸妖怪大図鑑」展

第3部 妖術使い 2014年8月30日(土)~9月25日(木)

太田記念美術館(〒150-0001東京都渋谷区神宮前1-10-10)

お問い合わせ:03-3403-0880

www.ukiyoe-ota-muse.jp/

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

※新刊『ときめくカエル図鑑』(山と渓谷社刊 文・高山ビッキ 写真・松橋利光)販売中です。どうぞよろしくお願いします。

Photo

-----------------------------------------------

<関連サイト>

「100年カエル館」 http://kaeru-kan.com

※Webミュージアムでは2011年に福島県立博物館で開催した「喜多方『100年カエル館』コレクション展」を画像でご覧いただいております。

「カエ~ル大学」http://kaeru-kan.com/kayale-u

「コトバデフリカエル」http://kaeru-kan.cocolog-nifty.com/kotobadefurikaeru ※エッセイで時代をふりかえるサイトです。

カエル大学通信 www.mag2.com/m/0001378531.html 

※『かえるる カエルLOVE111』(山と渓谷社)全国の書店等で販売中です。

Cover_obiariweb

|

■塔とカエルの文化的関わり、そして東京タワーエッセイコンテスト

 俳人沢木欣一(1919-2001)は「蟇(ひきがえる)バブルバベルと鳴き合えり」という句を遺しています。確かに、イソップの昔から牛に負けまいとお腹を大きく膨らまして結局破裂したカエルを思うと、天に届くほどの高さをめざしたが最後は崩れたバベルの塔は、カエルの存在の一面に通じるような気がします。

人間を遥かに超える大きさの塔と、人間の足元にも及ばない大きさのカエルですが、カエル文化を探ってみると塔とカエルの間には文化的な関わりを見てとることができます。

塔とカエルの文化的関わりについて

● 塔はそもそも天と地を結んで立つ柱であり、その周囲には神をめぐるさまざまな物語が生まれたという文化的意味があります。そして、カエルは中国の神話では雷神の息子とされ、天と地を結ぶ役割があったことを考えると両者は通じ合うような気がします。

● 塔は国土の創生に欠かせないもので、それが柱で表現されるとしたら諏訪大社の御柱祭などはその象徴的な神事であります。ちなみに諏訪大社では、毎年元旦に「蛙狩り行事」を行い、その年の吉凶を占います。

●塔は道柱でもあり、東西南北各方位を守り、交通路の目印となる標識の役割もあります。カエルを使い神とする猿田彦は国つ神であり、各方位の魔よけをする道祖神でもあります。その天狗のような高い鼻は塔を思わせるものがあります。

●四方を守るという意味では、古代中国の地震計、ネイティブアメリカンのトーテムポールにカエルの造形が使われているものがあり、人々に危険を知らせる役割がありました。

そして、現代、日本の塔としてもっとも親しまれている東京タワーには「タワー神社」があり、伊勢神宮から天照大神の御心霊を受け祀っています。天照大神の孫のニニギノミコトが降臨したときに道案内をしたのが、カエルを使いとする猿田彦大神です。

さて、皆さんは東京タワーにどんな思い出やうんちくをお持ちですか。東京タワーでは今年2013年、開業55周年を記念してエッセイコンテストを開催中です。

Tokyozahyou

※詳しくは東京タワーHP 

http://www.tokyotower.co.jp/essay

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

※新刊『ときめくカエル図鑑』(山と渓谷社刊 文・高山ビッキ 写真・松橋利光)販売中です。どうぞよろしくお願いします。

Photo

-----------------------------------------------

<関連サイト>

「100年カエル館」 http://kaeru-kan.com

「カエ~ル大学」http://kaeru-kan.com/kayale-u

「コトバデフリカエル」http://kaeru-kan.cocolog-nifty.com/kotobadefurikaeru ※エッセイで時代をふりかえるサイトです。

「キモノ・二・キガエル」http://kaeru-kan.cocolog-nifty.com/kimonokigaeru  ※ゆかたやキモノ着用で優待割引のある施設をご紹介するサイトです。 

※『かえるる カエルLOVE111』(山と渓谷社)全国の書店等で販売中です。

Cover_obiariweb

 

|

カエル好きなら何度でも見るべき歌舞伎の「天竺徳兵衛」

100_3506

   明治座十一月花形歌舞伎で今年2012年6月に襲名したばかりの四代目市川猿之助による通し狂言「天竺徳兵衛新噺(てんじくとくべえいまようばなし)」が上演された。

 この作品は、父親の亡霊から蝦蟇の妖術を伝授された徳兵衛が、日本転覆を志すという奇抜な物語で知られる江戸時代の戯作者鶴屋南北の「天竺徳兵衛韓噺(てんじくとくべえいこくばなし)」をベースに、やはり南北の「彩入御伽草(いろえいりおとぎぞうし)」を絡ませたストーリーで、三代目猿之助によって1982年に歌舞伎座で初演された三代猿之助四十八撰のひとつ。

 見どころは大詰の葛籠抜け(つづらぬけ)や宙乗り、早替わりなど数々あるが、カエルが第一の目的なら序幕に登場する、天竺徳兵衛を乗せて大屋根に現れた大蝦蟇を見るだけで感動はマックス、「カエル好きでよかった~!」と思えるはず。他に、妖術で蝦蟇に姿を変えた天竺徳兵衛を四代目猿之助が着ぐるみのカエルを着て演じるシーンは、とってもお茶目でかわいかった。

  また、徳兵衛の父親の亡霊が、蝦蟇の妖術を授ける際に自らの血潮で描いた蝦蟇仙人の画を与えるあたりは、“カエル通”の心をくすぐって余りあるものでしょう。何度でも観に行きたいものです。

-----------------------------------------------

<関連サイト>

「カエ~ル大学」http://kaeru-kan.com/kayale-u

「コトバデフリカエル」http://kaeru-kan.cocolog-nifty.com/kotobadefurikaeru ※エッセイで時代をふりかえるサイトです。

「キモノ・二・キガエル」http://kaeru-kan.cocolog-nifty.com/kimonokigaeru  ※ゆかたやキモノ着用で優待割引のある施設をご紹介するサイトです。 

※『かえるる カエルLOVE111』全国の書店等で販売中です。

 

 

 

|

正阿弥勝義によるアマガエルの一瞬を捉えた金属工芸

Sara2

Sara1_2

正阿弥勝義《蓮葉に蛙皿》明治時代 径12.0cm 清水三年坂美術館蔵

  このブログでも時々紹介している、カエルに関するモノや情報のコレクター小沢一蛙(1876-1960)のコレクションには、金属で作られたカフスにカエルが装飾されたものがあった。その精巧さを見たときに、それは江戸期までの刀職人に受け継がれてきた技術が、明治以降身近な生活用品に活かされるようになったのではないかと想像した。

 そのことを十二分に確信させられるような工芸品の展覧会「幕末・明治の超絶技巧  世界を驚嘆させた金属工芸~清水三年坂美術館コレクションを中心に」が、昨年(平成22年)の泉屋博古館分館(東京)を皮切りに全国を巡回している。現在は2月20日(日)まで静岡県三島市の佐野美術館で開催されていて、お借りした写真は正阿弥勝義(しょうあみかつよし/1832-1908)の「蓮葉に蛙皿」である。

 私たちの100年カエル館のカエルグッズコレクションにも、金属製で蓮葉の上にちょこんとアマガエルが乗ったものがいくつかあるのだが、”カエルグッズコレクション学”的にはそれらのルーツにつながる作品といえるのかもしれない。

 「幕末・明治の超絶技巧」展の図録によれば、正阿弥勝義はもともと刀装金工だったそうだ。ところが明治9年(まさに小沢一蛙さんが生まれた1876年)、廃刀令が出て刀装具の制作はやめなければならなくなった。その後に生み出されたのが、この「蓮葉に蛙皿」も含めた室内装飾品や装身具だったのだ。

 実は残念ながら私は東京でのこの展覧会を見逃してしまい、図録で目にしているだけなのだが、それでもこの工芸師の観察力、描写力、技術力が伝わる。もちろん、鳥や蝉、トンボなど蛙以外の生き物も表現していて、いずれもその一瞬の動きを金属で描き出すわけだから本当に驚嘆させられる。この写真の蛙に至っては、蓮の葉にぴょんと乗った瞬間なのである。

 カエルグッズを集めていると、マテリアル(素材)とカエルグッズの関係の面白さに気づかされることがある。そんななか、この「蓮葉に蛙皿」のような作品、そして正阿弥勝義のような人に出会うとカエルに関わっていて本当によかったと思う。

※同展は佐野美術館の後、大阪と岡山でも開催されます。

<大阪会場>大阪歴史博物館 

平成23年4月13日(水)~5月29日(日)

<岡山会場>岡山県立博物館 

平成23年6月3日(金)~7月18日(月・祝)

同展は京都にある清水三年坂美術館の協力で行われているので、巡回終了後は京都で会えるかもしれませんね。

100年カエル館・カエ~ル大学はこちらからhttp://kaeru-kan.com/kayale-u/

------------------------------------------------

<関連サイト>

「コトバデフリカエル」http://kaeru-kan.cocolog-nifty.com/kotobadefurikaeru  ※エッセイで時代をふりかえるサイトです。

「キモノ・二・キガエル」http://kaeru-kan.cocolog-nifty.com/kimonokigaeru  ※ゆかたやキモノ着用で優待割引のある施設をご紹介するサイトです。

 

 

|

“蛙賢人”からの贈り物と児雷也

_dsc73841112

 “カエルの世界”に携わって、カエルと関わるさまざまな人々と出会うなかで“蛙賢人”と呼ぶべき人にいろいろな教えを受けることがある。私にとってはファンタジーや夢判断でいうところの老賢人のような存在で、有形無形の貴重な“贈り物”をいただいている。

 演劇研究家の河竹登志夫さんは、江戸から明治にかけて活躍した戯作者の河竹黙阿弥の曾孫で、カエルグッズの収集家でもある。カエルタイムズをお送りすると、お葉書をいただく。カエルタイムズ12号の文化面には江戸・明治にその名を知られた絵師、柴田是真のヒキガエルの絵を載せているが、河竹さんは黙阿弥と是真に親交があったことも書き添えてくださった。

 河竹黙阿弥といえば、カエル好きにとっては蝦蟇(ガマ)の妖術を使う児雷也(じらいや)が登場する歌舞伎『児雷也豪傑譚話』の作者としての印象が強い。黙阿弥、是真、そしてやはり同時代を生きてカエルの絵を数多く描いた絵師河鍋暁斎に江戸・東京での交流があったとすると、三者の間でカエルの話も交わされたのではないかと想像がふくらむ。

 写真は河鍋暁斎記念美術館が運営するかえる友の会の原田尚信さんからいただいた児雷也である。原田さんからも数え切れないほど多くの“カエルの智恵”を授けていただいた。

 

| | コメント (0)