僕の日常術 片岡義男

2012年7月23日 (月)

1994年 昼月の幸せ(僕の日常術)

「昼月の幸せ」

片岡義男・文

僕の仕事はひとり引きこもって文章を書くことだ。仕事の時間は夜ですか、ときかれることが多い。僕は昼間に仕事をする。午後から夕方にかけて、そして暗くなっていくまでの時間が、特に僕は気にいっている。

仕事をする部屋には窓がふたつある。ひとつは東に面し、もうひとつは南に向いている。バルコニーへ出ると、北東から南西までを見渡すことが出来る。

デスクに向かっていて、ふと窓ごしに空を見ることが、一日に何度もある。空というものは、たいへんいい。思いがけない位置に昼の月が出ているのを見ると、僕は幸せな気持ちになる。淡くせつなく、うっすらとセンチメンタルな、そしてさらに言うならほのかにメランコリックな気持ちに支えられた幸福感を、僕は昼の月から受け取る。

その昼の月を、僕はしばしば写真に撮る。なんの目的もなく、ただ撮りたいから撮る。昼月と自分との関係のありかたを、写真に撮ることによって僕は確認しようとしているのだろう。

望遠レンズでたくり寄せないかぎり、昼の月は空のなかの小さな白いひとつの点だ。しかしこの白い小さな点は、造形的にも雰囲気的にも、たいそうすぐれている。だからかなりおおまかに写真に撮っても、出来たカラー・スライドを見ると、もの静かになにげなく、しかし見事に、昼の月は絵になっている。

昼の月の写真が、僕の手もとにたくさんある。僕がいつも見るおなじ空に浮かぶ昼月だが、よく似ているようでいてどれもみな微妙に異なる。ふと視線を向けた空に昼の月を見たその瞬間を、僕は写真で自分のものにして残している。

ごくたまに、そのような昼月の写真は、たとえばこのページにあるように、印刷されて僕以外の多くの人たちの目に触れることになる。印刷されたのを見ると、実際にその昼月を見たときとまったくおなじ幸せな気持ちを、僕はもう一度、体験する。

1994年1月住宅メーカーPR誌掲載)

※この文章は片岡義男さんの許可をいただいて掲載しております。無断転載を固く禁じいたします。※本サイトへのお問い合わせはケーアンドケーまで03(3981)6985

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2012年7月15日 (日)

1995年 美しい顎の物語

「美しい顎の物語」

片岡義男・文

僕が小説を書くことを仕事のようにして、二十年が経過した。小説には難しいこと、あるいはたいへんやっかいなことが、いくつかある。そのうちのひとつは、人の描写だ。

性格づけをそのまま書いて内面の描写とし、わかりやすい外形に言葉をあたえればそれで充分、というような小説もあるかと思うが、そうではない小説を試みようとすると、人を描写する作業はやはり難しい。

個人として独立して自分自身の世界を持った、美しく魅力的な女性をひとり、言葉で描写するのはたいへんだ。

陳腐にいくならひとつかふたつのパターンですべてをかたづけることは可能だが、ストーリーごとにそのような女性が登場する小説を書くとなると、どの女性もストーリーに合わせて微妙にあるいは決定的に異なっているはずだから、そのような差異も含めて、美しく魅力的な、独立した存在としての彼女を、そのつど僕は描写しなくてはならない。

彼女が裸でいるときの描写が、もっともやっかいだ。彼女には彼女の骨格があり、内臓がぎっちりと詰まってどれもみな正常に機能し、血管のなかには温度のある血液が流れ、神経が張りめぐらされ、皮下脂肪がすべてを包み込み、いちばん外側を肌がくるんでいる。

その造形は意志や目的を持ってさまざまに動く。彼女の全体像を伝えたいとき、いったいどこから手をつければいいのか。

一から始めて二に至り、二を経由して三へいく、というふうに冷静に淡々と言葉を積んでいくほかない。それでもなお、主観を巧みに客観に見せるような技法を、要所ごとに採択しなくてはならないだろう。

印象的に書く、という技法もストーリーの性格によっては、効果的に用いることが出来る。どこかひとつふたつ、せいぜい三つくらいを書くことをとおして、彼女の全体を読み手にイメージさせるのだ。

顔の出来ばえと意志のありかたを結ぶものとして、僕の技法には顎がある。美しい出来ばえの顎は、頭の形と密接につながっている。顎が良けれど頭の形も良く、そうであればその人はまず間違いなく美人だ。

強い意志を持った美しい人は、顎を手がかりにして、書くことが出来る。僕の顎コレクションから、ランダムに三点、披露してみよう。

19954月住宅メーカーPR誌掲載)

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2012年7月11日 (水)

1994年 思いがけない人

「思いがけない人」

片岡義男・文

ぱっとひと目見たとき、この女性に僕はヨーロッパを感じる。イタリーの人だということを知っているからそう思うのではなく、確かに、どこかに、ヨーロッパを彼女は持っている。

髪の作り、化粧のしかた、表情、着ている服などは、1960年代なかばのハリウッドが盛んに提唱していた女性美のありかたの、ひとつのたいへんにすぐれた典型だ。

すべては当時のアメリカの価値観のなかでの女性美だが、それをかいくぐって表面に出て来るヨーロッパが、彼女にはある。そしてそれが、彼女の魅力を増幅している。ひょっとしたら、当時のハリウッドの手だれたちは、彼女が魅力のひとつとして持っているヨーロッパを消さないように細心の注意を払いつつ、そこにアメリカをつけ加えたのかもしれない。

ここにある三つの写真で見る彼女は、じつに見事にフィクションだ。当時と言えども、現実のなかには、このような女性の存在の場は、なかったはずだ。もしこのまま現実のなかにいたなら、一定の文脈や役割のなかにたちまち固定され、そこから出ることは出来なかったにちがいない。

必要があってアメリカの古い雑誌を大量に見ていたら、思いがけなくこの女性に再会した。ヴェルナ・リージというイタリーの女優だ。イタリーやフランスでたいへんな活躍をしたのだが、いわゆるスターになったのは、ハリウッド映画に出てからだった。

映画というフィクションのなかから、彼女のような女性が消えて久しい。成熟しきった強い大人の女性の、性的な魅力を濃厚に立ちこめさせている女性、というフィクションが成立しないほどに、フィクションの世界も現実に侵されてしまったからだ。

女性美のひとつのありかたのなかに、この女性の魅力はあまりにも完結しすぎている。現実のどこともかかわることのない、完璧なフィクションだ。

1994年7月住宅メーカーPR誌掲載)

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1995年 自動車の中に僕が入る

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「自動車の中に僕が入る」

片岡義男 文・写真

黒い背景のなかに赤い自動車の切り抜きがある。この自動車はマーキュリーのクーガーだ。坂を上がって来る自動車は、ポンティアックのGTOだ。そして後部だけが写真のなかにとらえてあるのは、僕の記憶が正しければ、ダッジのチャレンジャーだ。三台とも、

ほぼおなじ時代のアメリカの自動車だ。つまり、三台をつらぬいている価値感は、おなじ時代のものだ。

無駄、あるいは余計なコスト、という視点から検討し直すなら、この三台の自動車は、どれもみなあっさりと落第だろう。大きすぎるし重すぎる、したがって燃料を消費しすぎる。排気の質は相当にひどいのではないか。明らかに資源を使いすぎているが、そのことに対比して用途はじつにトリヴィアルだ。

三台とも僕は自分のものとして乗っていた経験がある。ほとんどの場合、僕ひとりだけが乗って、どこかへ日常の用を足しにいくだけだった。

自動車は箱だ。その箱にはエンジンがあり、エンジンが四つの車輪を回転させて走る。運転する人はステアリング・ホイールを操作して、走る方向を選んでいく。アクセルがありブレーキがあり、ヘッドライトが灯ってドアのガラスは昇降し、正面のガラスに降りかかる雨は、ワイパーが拭ってくれる。

どんなに複雑な装置が加わろうとも、どんなにエンジニアリングが進化しようとも、自動車は箱だ。その箱にはドアがあり、そのドアを開いて僕はなかに入る。そしてドアを閉じる。

自動車は社会的な存在だが、箱のなかに僕が入って動かすという点において、それはきわめて個人的な存在でもある。

自動車が持つこの個人的な性格に、外側の造形と内側の雰囲気が、たとえば僕という個人に、情動的な影響をあたえずにはおかない。僕を情動的につき動かす自動車が、僕は好きだ。

欠点は多いが、ここにあるこの三台は、情感に訴えるところ大であり、そのかぎりにおいて僕は愛着を覚える。そのような自動車のなかになら、僕は入ってもいいと思う。

1995年1月住宅メーカーPR誌掲載)

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2012年7月10日 (火)

1996年 ファッション雑誌の足もと

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「ファッション雑誌の足もと」

片岡義男 文・写真

外国のファッション雑誌を見ていると楽しい。見るたびになにかをそこに発見する。ずっと以前に僕が発見したことのひとつは、ページの下のほうには、椅子やソファにすわったモデルたち、あるいはさまざまな立ち姿でポーズしている彼女たちの、足もとがあるという事実だ。

あたりまえと言うならごくあたりまえのことだが、これが造形的にあるいはデザイン的に、なんとも奇妙な光景で面白い。ページをくりながら、その下のほうだけを見ていく。モデルたちの足もとだけがそこにある。どれもまったく見分けがつかないほどによく似ている。おたがいにすべてが相似形だ。それでいて、どの足もとも、ヴァリエーション豊かに、デザイン的に異なっている。

接写レンズをつけた一眼レフのカメラで、僕はファッション雑誌の足もとを見ていく。ファインダーの小さな長方形のスペースを使って、ヴァリエーション豊かな、そしてあからさまに女性的な足もとを、僕は切り取っては撮影してみる。カメラによる切り抜きだ。

いつのまにかたくさんたまったカラー・リヴァーサルを、五十枚ほどライト・テーブルに広げて観察すると、その光景は壮観だ。男性と女性に厳しく明確に二分された装いのうち、女性のほうの装いを完結させる足もとが、乱舞している。

十年くらい前まではどこかに丸い優しさを残していた彼女たちの足もとは、いまでは鋭い攻撃的な雰囲気を高めきったようだと僕は思う。

19964月住宅メーカーPR誌掲載)

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1995年 切手という不思議

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「切手という不思議」

片岡義男 文・写真

外国から手紙が届くたびに、不思議だなあ、あんな遠いところからよくも届いたなあ、と僕は思う。郵便システムがあるから届くのだ、ということはよくわかっている。世界の郵便システムは、ほとんどかたときも休むことなく、機能し続けている。

そのスケールの全地球的な巨大さと複雑さに思いをはせるとき、世界の郵便システムは轟々と音を立てて機能している、などという表現を僕はしたくなる。

そしてそのシステムは、不思議さの余地など、まったくないと言っていいほどに、発達している。僕の日常のなかへいきなり外国から葉書や封書が届くとき、轟々と音を立てて機能しているはずの世界の郵便システムを感じさせるものは、投函した人が貼り、投函地の郵便システムが消印した、その現地の切手だけだ。

片隅に貼ってある小さな四角い紙が、基本的には世界のどこからでも、僕の手もとに葉書や手紙などを運ぶ。受け取ってつくづくと切手を見ていると、僕の日常の場所からその手紙や封書の投函された外国までの距離を、僕は感じないわけにはいかない。

あんなところからこれがなぜ届くのか、ほんとに不思議だ、と僕は思う。貼ってある切手とその周辺の様子が、僕の写真心をとらえる。だから僕はその光景をよく写真に撮る。

切手が一枚だけなのは、パリからだ。消印はモンパルナスとなっている。切手が二枚あるのは、温泉を楽しみながらアラスカでオーロラの出現を待っている、写真家からのものだ。そして切手がたくさん貼ってあるのは、何年も前、アメリカの友人が資料を送って来てくれたときのものだ。

199511月住宅メーカーPR誌掲載)

※この文章と写真は片岡義男さんの許可をいただいて掲載しております。無断転載を固く禁じいたします。※本サイトへのお問い合わせはケーアンドケーまで03(3981)6985

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2012年7月 8日 (日)

1995年 本のなかに咲く花

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「本のなかに咲く花」

片岡義男 文・写真

本というものは、たいへんに不思議なものだ。ページという呼び名の、おなじ大きさの紙が何枚も綴じてあり、一冊という容積の基本単位を作っている。

何枚ものページには、非常に多くの場合、ひとつにつながった文章が文字で印刷してある。一冊の本の容積の大部分は、ページの総面積だ。ページの総面積は文字の総量であり、その文字を読んで理解しないことには、本というものの少なくとも本来の機能は、引き出すことが出来ない。

ページに文字の印刷してある本は、本というものの不思議さの、おそらく頂点に立つ形態だろう、と僕は思う。絵や写真の印刷してある本が、それに次ぐ不思議さを充満させた本として、位置している。文字の本はその文字を読まないことには、それぞれの不思議さの内容には入っていけない。絵や写真の本は、ページを開いてそこに印刷されているものを見さえすれば、それぞれの不思議さのただなかへ、直ちに入っていくことが可能だ。

花の絵が印刷してある本のページを開くと、ページという紙の二次元に、花が咲く。ページを開いたとたんに目に入って来るその花は、まるでそのときの瞬間、そのページに咲いたもののように見える。そしておなじくその瞬間、その本のぜんたいがその花になる。咲いた瞬間を、三とおり、僕は撮影してみた。

19957月住宅メーカーPR誌掲載)

※この文章と写真は片岡義男さんの許可をいただいて掲載しております。無断転載を固く禁じいたします。

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1994年 僕のコンコルド

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「僕のコンコルド」

片岡義男 文・写真

僕はコンコルドを二機、所有している。二機とも模型だ。縮尺は異なるが、どちらも掌に乗る。単発や双発の小さなプロペラ機を別にすると、大きくなればなるほど、どんなに良く出来た飛行機でも、すさまじい機械じかけで離陸し、強引に空を飛ぶことから来る、どうにも逃れようのない鈍重さが、機体そのものに、そしてその周囲に、常に漂う。

指先でつまめるほどの大きさの模型になっても、そのことに変わりはない。しかしコンコルドの機体の造形には、そのような鈍重さを、少なくとも模型で見るかぎりでは、僕はほとんど感じない。

流麗に引き締まって完結したたたずまいは、たとえば僕がデスクの上で撮る写真の被写体のひとつとして、たいへんに使いでがある。黒い紙の上にコンコルドを置き、五十五ミリの

マイクロ・レンズをつけたカメラでのぞきこむと、ひっくり返した腹面は別にして、それ以外の部分なら、どんな角度からとらえても、コンコルドはさまになる。

コンコルドの模型を使って、凝った写真を撮るための準備を僕はいま進めている。その前段階として、なにかが印刷してある紙の上に、あるいはそのそばに、一機のコンコルドをただ置いただけという単純な構図で、練習的に多くの写真を撮り、コンコルドの美しさを

いろんなふうに僕は確認しているところだ。

そのような写真のうちの三点が、ここにある。コンコルドととともに映っているのは、外国のファッション雑誌だ。このような取り合わせだと、どんなものとともにあっても、コンコルドはすんなりとそれと調和し、寄り添ってしまう。平凡な言いかたになるが、コンコルドの造形は女性的なのかもしれない。真にすぐれて女性的な造形は、それ以外のどのようなものとも、少なくとも造形的には、なんの無理もなくごく自然に、共存出来るのだという仮説を、僕はいま楽しんでいる。

(1994年4月 住宅メーカーPR誌掲載)

※この文章と原稿は片岡義男さんからの許可をいただいて掲載しております。無断転載を固く禁じいたします。

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2012年7月 7日 (土)

1994年 ページの中の赤い色

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「ページのなかの赤い色」

片岡義男 文・写真

アメリカの雑誌を見ていると、びっくりするような光景に出会うことが、しばしばある。びっくりするような光景とは、雑誌というものを構成しているページの上での、ある種の大胆なデザイン処理のことだ。その大胆さをひと目見て僕は充分に驚く。そしてその驚きは楽しさであり快感であり、芸術的と言っていい感銘でさえある。だから僕はアメリカのさまざまな雑誌を見ることを、やめるわけにはいかない。

雑誌でも本でもページを作っている紙は、まず圧倒的に白い紙が多い。そうではない場合もあるが、文字が大量に印刷されるためのページは、基本的な了解ないしは前提として、白なのだ。そしてその白いページの上に、文字は黒い色で印刷される。黒い色ではなくともいっこうにさしつかえはないが、白いページに言葉が大量に印刷されるとき、その文字の

基本色は黒だときまっている。

白いページに、黒い色の文字で、大量に印刷されたさまざまな言葉。この白と黒の世界に、鮮やかな色彩を持ち込むとしたなら、その色はまずどの色よりも先に、赤なのではないか。ページのなかの赤い色。その赤の大胆な使い方の例が三つ、ここにある。

35ミリのマイクロ・レンズが作る遠近法のなかで、ページのなかの赤い色を、僕は写真機のファインダーで、つまりフィルムのあの長方形で切り取り、撮影してみた。一定の長方形の枠で切り取る行為は、それ自体がひとつのデザイン行為だ。白いページに黒い文字、そしてそこに加えた赤い色というデザイン行為の結果である。完成された雑誌のページを、僕は写真機でもう一度、デザインしなおしている。

それにしても、ここにあるこの三とおりの赤は、ものすごいとしか言いようがない。ページの白は、陽に照らされた世界だろうか。その上に刷り込まれた文字の黒い色は、闇の世界を抽象的に代表している。言葉というものは、闇の奥から陽のなかへ出て来る。そして鮮やかな彩りである赤い色は、大地の象徴だ。

(199411月住宅メーカーPR誌掲載)

※この文章と写真は片岡義男さんの許可をいただいて掲載しております。無断転載を固く禁じいたします。

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