朝ドラのモデルになった牧野富太郎博士のフローラとフロッグ/かえるモノ語りー自然と文化をつなぐカエル82「ほっと・ねっと」2023年10月
かえるモノ語り~自然と文化をつなぐカエル82
<朝ドラのモデルになった牧野富太郎博士のフローラとフロッグ>
高山ビッキ(100年カエル館)
9月までの半年間放送されていたNHK朝の連続テレビ小説『らんまん』。「日本の植物学の父」と呼ばれた牧野富太郎博士をモデルにしたドラマでしたが、史実に縛られないのびやかなストーリー展開で、テレビ画面を通じても草花にふれられたせいかとても幸せな気持ちになりました。
そして普段、植物ではなくカエルについて考えている筆者にとっても、懐かしくよみがえることの多いドラマでした。
何と言っても妻となる寿恵子が、結婚する前、地べたを這いつくばって植物を観察する万太郎を「カエル先生」と呼んだこと。万太郎は土佐から東京に出て来て何度か引っ越しをしますが、石製の2匹のカエルがなぜかいつも一緒でした。植物画を描く机の上にはヒキガエルを模した文鎮を置いていることも。私にとっては祖父と父を思い出すのに充分でした。
100年カエル館では、牧野博士とほぼ同時代を生きた、明治生まれのカエルのモノのコレクター、小澤一蛙氏が蒐集したカエルも展示しているのですが、ドラマに描かれた明治から昭和へと変わりゆく東京の様子は、どこかに小澤さんの姿を見かけそうで、画面の中に誘われました。
また、若い頃同じ長屋の住人だった文学青年がドラマの最後の方で、実は明治の文豪坪内逍遥だったというサプライズもありました。私たちのミュージアム館内にやはり展示コーナーを設けている、演劇研究家にしてカエル好きの河竹登志夫氏。その父の繁俊氏が逍遙と深い係わりがあり、ドラマで「逍遙」が話題にしていた早稲田の演劇博物館の館長も務めました。生前登志夫氏は、幼い頃逍遙に頭をなでられたことを覚えているとエッセイに書き遺しています。
ドラマ同様、牧野富太郎は東京大学に長く勤務しましたが理学博士の学位を受けたのは60代に入ってから。それまではひたすら日本のフローラ(植物相)を明らかにすべく植物の標本作製にエネルギーを注いだと言っていいのでしょう。
日本の植物学も、カエルを含む両生類の研究も、近代に入って最初はドイツ人シーボルトら外国の研究者によって進められました。
それを自らの手で採取し、描き、図鑑にし、日本人の手で未来に伝えようとした博士のロマンは、現代の私たちにも大きな夢と希望を与えてくれるものです。
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<関連サイト>
「100年カエル館」 http://kaeru-kan.com
「カエ~ル大学」http://kaeru-kan.com/kayale-u
カエル大学通信 www.mag2.com/m/0001378531.html
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