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2023年3月

2023年3月30日 (木)

地を這うヒキガエルが海に向かう理由/かえるモノ語りー自然と文化をつなぐカエル75「ほっと・ねっと」2023年3月

<地を這(は)うヒキガエルが海に向かう理由>

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高山ビッキ(100年カエル館)

 

 最近、海とカエルについて考える機会がありました。

  カエルグッズを集めていると、貝細工のカエルと出合うことがあります。貝は川にも棲息していますが、カエルの貝細工の多くはハマグリやアサリなど海の貝を使ったものが多く、観光地の土産物になっています。海辺で採集した貝を素材に何か作ろうと思ったときに、擬人化しやすいカエルが適していたのかもしれません。

 生物学的には、塩水が苦手で、海岸域には不向きとされているカエル。ところが最近、そんなカエルを含む両生類が、沿岸域や汽水域(海水と淡水の中間にあたる水域)で観察される報告が増えています。

 この現象に関しては2018年に喜多方で開催した日本両生類研究会の自然史フォーラムでも、秋田両棲類研究会の木村青史氏が報告しましたが、木村氏はその後も調査を続け、今年1月に発行された『両生類誌No.35』でも、詳しい調査結果を報告しています。

 その報告の中で特に興味深かったのは、「海岸や汽水域で確認された両生類の確認地点数」で最も多いのがニホンアマガエルで、次が外来種のウシガエル、そしてその次はアズマヒキガエルだったことです。

 20世紀に日本にやってきたウシガエルは別にして、ニホンアマガエルもアズマヒキガエルもアマガエルやヒキガエルとして日本で馴染み深いカエルですが、日本列島が大陸と切り離されて成り立った頃までさかのぼれば、時に海水を泳いで大陸から移動してきた可能性(それを記憶した遺伝子)もないのではないかと思ったからです。

 アズマヒキガエルに至っては、両生類研究会の野村卓之氏によると、2000年に、新潟市の四ツ郷屋海岸の砂浜を移動して海に入っていく成体が確認され、何度か陸に戻しても再び海に入っていったことが観察されています。

 万葉集ではタニグクという言葉で、その「さ渡る極み」(=地の果て)まで知り尽くしている知恵者とも考えられたヒキガエル。そのヒキガエルがここへ来て、何ゆえ海をめざしているのかと思うと、その理由をあれこれ想像せずにはいられません。

 最近、海から川に紛れ込んだクジラも話題になりました。人よりも先に地球の変化を感知する生きものたち。海とカエルの関係は、地球全体にかかわる大きなテーマにつながっているのかもしれません。

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<関連サイト>

「100年カエル館」 http://kaeru-kan.com

「カエ~ル大学」http://kaeru-kan.com/kayale-u

カエル大学通信 www.mag2.com/m/0001378531.html

※ブログ「高山ビッキBlog」http://kaeru-kan.cocolog-nifty.com/vikkiも配信中です。

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2023年3月 1日 (水)

カエルならどうする?逃げるが勝ち。/かえるモノ語りー自然と文化をつなぐカエル74「ほっと・ねっと」2023年2月

<カエルならどうする?逃げるが勝ち。>

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高山ビッキ(100年カエル館)

 今年のNHKの大河ドラマ「どうする家康」では、この原稿を書いている現在、松平元康(徳川家康)が今川氏と織田氏の間で「どうする?」の局面に立たされていますが、同時代の尾張国に戸部城主だったある武将がいました。

 最初織田氏に従っていましたが、逆心をいだいて今川氏についた武将でもあったようですが、信頼できる史実は残っていません。

 むしろその戸部城主の存在を後世に伝えることになったのは、写真の土製の郷土玩具「戸部の蛙」かもしれません。

 こんな話が残っています。

 「この城主は乱暴者で自分の行列の前を横切る人は容赦なく斬り捨てた。」

 戸部という地名は今も名古屋市南区に町名として残っています。山崎川という川が流れていて、当時戸部城近隣一帯にはカエルが多く棲息していたのでしょう。

 「ある日、一匹のトノサマガエルがその城主の目の前をピョーンと横切った。誰もが、斬られる、と思った瞬間、その跳ぶ速さに城主は心奪われ、カエルは斬られずに済んだ」と。

 このときから誰言うともなく「山崎越えたら戸部戸部」と斬り捨てられた首が跳ぶのと、蛙が跳ぶのを掛けて揶揄する言葉遊びが流行り、いずれこの云われから瓦職人によって「(命拾いして)無事にカエル」の願いが込められた粘土のカエルが作られ、笠寺観音の参道で売られるようになったと伝えられています。

 写真のような体長3~4センチの瓦土を手びねりして焼いた「戸部の蛙」が作られるようになったのがいつ頃からかはわかりませんが、みごとなのはその種類の多さ。

 殿様蛙、雨蛙、赤蛙、ガマ蛙、相撲を取る蛙、親子蛙……等々、30種類はあり、昭和30年頃まで作られていたと云われています。

 天敵を自ら攻撃する牙や爪などを持たないカエルは「逃げる」ことで生き延びてきた生きものです。そして家康も「逃げる」戦術を厭わなかった殿様と考えると、この「戸部の蛙」も存外家康のようであり、江戸時代らしい縁起物として流行ったのだろうと考えると楽しいものです。

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<関連サイト>

「100年カエル館」 http://kaeru-kan.com

「カエ~ル大学」http://kaeru-kan.com/kayale-u

カエル大学通信 www.mag2.com/m/0001378531.html

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