2001年 旧松方正熊邸(先人の暮し方に学ぶ)
●旧松方正熊邸(東京・港区)
家が育てたインターナショナルで
自由な精神が今も学校教育に生きる
高山ビッキ・文
港区元麻布は道が入り組む住宅街に入ると、行きかう人に欧米の方が多く、道を聞こうにも英語が必要になるほどです。そうした環境を導くかのように佇む、旧松方正熊(まつかた しょうくま)邸は現在、西町インターナショナルスクールとして、幼稚園から中学までの多国籍の子女のための、インターナショナルな教育の場になっています。
1921年(大正10年)に建てられたこの建物は、明治の元勲松方正義の六男で大日本精糖を起こした松方正熊と妻の美代子、そしてその子供たち6人が暮らした私邸でした。この家で育った子供たちはいずれもその生涯をアメリカと深く関わって生きました。
なかでも私たちに最も馴染みが深い方に、次女で、後々駐日米国大使となるライシャワー博士と結婚したハル・ライシャワー(1915~1998年)がいます。そして三女の松方種子はアメリカの大学で修士を取った後帰国し、1949年ここにスクールを開き、日米両国語を話せるようにするバイリンガル教育を始めました。
松方家6人の子供たちの教育には母親が大きく影響しました。正熊の妻美代子はアメリカで生まれ育ち、結婚とともに日本での暮らしを始めました。そして子供の教育を考えたときに、当時の日本の一般の学校教育では独立心が育たないのではないかと思い、自分の子供たちを自分の家で教育することにしたのです。
つまり、自分の家をアメリカ人とイギリス人の家庭教師のいる学校にして教育することに。そのうちに松方家の友人の子供たちも「松方さんの英語教室」と呼ばれたこの私塾に集うようになります。この邸宅が建てられた時には、すでに家を教室として使うことが想定されていました。
この邸宅の設計者は教会の伝道師でもあったウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880~
1964)です。日本での住宅建築を通して伝道を進めたヴォーリズの設計は、松方家の教育、そして現在の西町インターナショナルスクールにとってこの上ないユートピアを導いたようです。
■ビッキの住宅温故知新
日本人の洋風住宅のモデルとなったヴォーリズの住宅
ウィリアム・ヴォーリズは、コロラド大学を卒業した後、建築家としてではなくキリスト教の海外伝道師として1905年に来日しました。
しかし、伝道活動の資金を得るためにも様々な事業が必要になり、後にメンソレータムで知られる近江兄弟社を設立し、併せてヴォーリズ建築事務所を開きました。ヴォーリズの建築は本来の仕事がら教会やキリスト教系学校などミッショナリー建築で知られますが、大正から昭和にかけて住宅をなんと400棟は設計しています。つまり、現在に至る日本の洋式住宅のモデルをつくった人と言っていいでしょう。
そのスタイルはアメリカの住宅建築の伝統的様式に則ったものですが、ディテールや設備は合理的・現実的な近代住宅を目指しました。この時代にあって住宅環境と健康について語った建築家でもあり、家というハコを提供するだけでなく、家をいつまでも生気あるものにする具体的な処方を提案しました。
■旧松方正熊邸
(西町インターナショナルスクール)
〒106-0046東京都港区元麻布2-14-7
TEL.03(3451)5520 URL:http://nishimachi/ac.jp/
(2001年10月住宅メーカーPR誌掲載)
※この文章は高山ビッキが2001年に企業のPR誌に執筆したものをほぼそのまま掲載しております。写真につきましても再度許可をいただき使用しております。無断転載を固く禁じいたします。※本サイトへのお問い合わせはケーアンドケーまで03(3981)6985
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