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2012年10月17日 (水)

2000年 成城五丁目猪股邸(先人の暮し方に学ぶ)

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●成城五丁目猪股邸(東京・世田谷区)

武士道を尊ぶ施主の心意気に応えた

吉田五十八の近代数奇屋家建築

高山ビッキ・文

東京・世田谷区が高級住宅地しての姿を見せ始めたのは昭和30年頃。猪股邸は昭和42年に成城地区に建てられた。施主は(財)労務行政研究所の理事長を務めた故・猪股猛氏。氏が夫婦のいわば“終の住みか”として、それまで住んでいたフランク・ロイド・ライト風の住居を和風の建物にしたいと、建築家吉田五十八(18941974)に依頼して建てた家である。

吉田五十八は大正から昭和にかけて活躍した建築家で、独自の手法を通じて因襲化した数奇屋建築を近代化して再生したことで知られる。主な作品としては、歌舞伎座や成田山新勝寺大本堂、五島美術館などの公共建築物の他、梅原龍三郎、吉屋信子など文化人の私邸をはじめ数多くの住宅設計も手掛けた。昭和39年には文化勲章を受けている。

猪股家は松浦藩の武家の出ということもあり、猛氏は武家屋敷のような質実剛健の気風が感じられる家を希望していた。その施主の意を汲むことで、猪股邸は吉田五十八ならではの近代数奇屋の美学が細部にまで行きわたっていながら、柱を太くするなど武家屋敷風の要素も加味し、他の吉田数奇屋のスタイルとはちがった特徴をもっている。

100坪はある木造平屋建ての住宅。そのまま屋根をのせると屋根が大きくなりすぎ美観を壊すので、中庭を二つ設け屋根を大屋根、中屋根、小屋根と三つに分ける手法がとられている。庭には、ソメイヨシノ、アカマツ、ウメなど計48種類、計265本の木々が植えられ、居間に面した一帯には、東京にはめずらしいスギゴケがはえそろう。この庭園は猛氏自身がデザインしたもの。

現在、この邸宅は猛氏の長男である猪股靖氏によって世田谷区に寄贈され、庭園と一緒に一般公開されている。日本人の伝統的な美意識と時代が求める近代化精神がみごとに調和した和風住宅である。

■ビッキの住宅温故知新

“吉田数奇屋”の美しさと過ごしやすさ

この邸宅には、シンプルで端正な趣のなかに吉田五十八流近代数奇屋デザインの巧みさが生きている。その真髄が凝縮された茶室「勁松庵(けいしょうあん)」。居間から見るとあたかも離れのように見えるこの茶室に、客人は待合室である居間から庭を通って、にじり口より入る。

しかし実は、この茶室は渡り廊下で主棟とつながっている。お茶事のしたくがラクにできるように利便性を図っているのだ。そして、にじり口は普通は幅が63cmぐらいだが、ここではお茶室から庭が楽しめるようにと、ほぼ倍の128cmをとっている。

また、居間、夫人室、和室、書斎と続く南側の開口部では、雨戸、網戸、硝子戸、障子戸などの柱間装置をすべて引き込み戸にして、開け放つと戸袋のない、壁だけのすっきりした外観をつくるとともに、庭への眺望を防げない空間を生み出している。

西側にある書斎と一畳台目の茶室は昭和57年に増築されたものだが(設計・野村加根夫氏)、“吉田数奇屋”を踏襲し、書斎のコーナーの窓は4種類の戸をすべて収めると、180度見渡せる戸外と一体化した清々しい空間になっている。

(20004月住宅メーカーPR誌掲載)

■成城五丁目猪股邸

1550031東京都世田谷区北沢2-8-18

お問い合わせ先

(財)せたがやトラストまちづくり

TEL.03(6407)3313

※この文章は2000年に高山ビッキが企業のPR誌に執筆したものをほぼそのまま掲載しております。写真についても再度許可をいただき使用しております。無断転載を固く禁じいたします。※本サイトへのお問い合わせはケーアンドケーまで03(3981)6985

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