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2012年8月15日 (水)

2002年 自由学園女子部校舎(先人の暮し方に学ぶ)

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自由学園女子部校舎(東京・東久留米市)

ライトの薫陶を受けた遠藤 新による

「自由学園」の建学の精神を伝える建築

高山ビッキ・文

「自由学園」は、「婦人之友社」を創設した羽仁吉一(18801955)・もと子(18731957)夫妻が、新しい女子教育を求めて起こした学校として知られ、現在、幼児教育から大学教育までの一貫教育を行っています。

東久留米市にある三万坪の学校敷地は、人の手になる建物と自然が生み出した樹木が調和する、真の自由を求めた羽仁夫妻のまさに理想郷と呼ぶにふさわしい環境です。大正10年の創立当初「自由学園」は目白(現自由学園明日館、豊島区西池袋)に校舎が建てられました。その設計にあたったのが、当時帝国ホテルの建設のために来日していたフランク・ロイド・ライト(18691959)でした。

そして羽仁夫妻にライトを紹介したのが、その弟子遠藤 新(18891951)であり、この、当時からの呼び方でいえば「南沢」の女子部校舎は隣接する学園町の分譲と共に、昭和9年に遠藤本人の設計により建てられました。目白・南沢二つの建築に共通しているのは、遠藤が「三枚おろし」と呼んだ、建物を縦に三つに分けて中央の空間の天井を高くし、両側の空間の天井を低くする空間構成です。

これによって美観、音響効果、経済性などにすぐれた建物が実現しています。ただし、目白の校舎はツーバイフォー工法を採用していますが、南沢の女子部校舎は木造軸組工法。また、食堂とその両側の校舎には瓦屋根を載せ、体操館は面する大芝生に対して内と外と境界を曖昧にさせるほど開放的になっているところに、ライトから学んだものを日本の風土により深く根ざした建築として昇華させた遠藤の志の高さが窺えます。

「建築は生活の質を高めるための生活環境でなければならない」と考えていた遠藤の建築哲学は、まさに実生活の大切さを教育の基本に据えた「自由学園」の建学の精神に通じるものです。南沢の学園には「時の係」を受け持つ生徒によるチャイムが響きます。ここでは「時」もまたゆっくりと手作りされているようです。

ビッキの住宅温故知新

食堂に象徴される生活の場としての学校建築

「自由学園」が他の学校に比べて特徴的とされることのひとつに、食堂が学園生活のなかで重要な役割を果していることがあります。これは学校給食や弁当持参とちがい、生徒たちが自分たちで食事を作ってあたたかい料理を皆で一緒に食べる家庭的な場所であり、特に羽仁夫人の母親としての発想から生まれた教育観に基づいています。

「自由学園」では、料理だけでなく校内の掃除や広い芝生の手入れまで生活まわりのことはすべて生徒たちが自分で行います。そうして実生活上の能力を身につけさせることが、一般の学科を習得すること以上に大切であるという考えは、羽仁夫妻亡き後もずっと受け継がれている教育理念です。

ライトや遠藤 新がその教育理念を深く理解した背景には、ライトの叔母がアメリカで邸宅内にホームスクールを開いていたということや遠藤 新も「生活に徹底した建築」を求めていたことがあり、それらが幸運な出会いとなって、建築に結実したと言えるでしょう。

●学校法人自由学園南沢キャンパス

203-8521東京都東久留米学園町1-8-15

TEL.0424(22)3111FAX.0424(22)1078

●学校法人自由学園目白キャンパス

(重要文化財、自由学園明日館)

171-0021東京都豊島区西池袋2-31-1

TEL.03(3971)7535FAX.03(3971)2570

(20027月住宅メーカーPR誌掲載)

※この文章は高山ビッキが2002年に企業のPR誌に執筆したものをほぼそのまま掲載しております。無断転載を固く禁じいたします。 ※本サイトへのお問い合わせはケーアンドケーまで03(3981)6985

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