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2012年7月 8日 (日)

1994年 僕のコンコルド

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「僕のコンコルド」

片岡義男 文・写真

僕はコンコルドを二機、所有している。二機とも模型だ。縮尺は異なるが、どちらも掌に乗る。単発や双発の小さなプロペラ機を別にすると、大きくなればなるほど、どんなに良く出来た飛行機でも、すさまじい機械じかけで離陸し、強引に空を飛ぶことから来る、どうにも逃れようのない鈍重さが、機体そのものに、そしてその周囲に、常に漂う。

指先でつまめるほどの大きさの模型になっても、そのことに変わりはない。しかしコンコルドの機体の造形には、そのような鈍重さを、少なくとも模型で見るかぎりでは、僕はほとんど感じない。

流麗に引き締まって完結したたたずまいは、たとえば僕がデスクの上で撮る写真の被写体のひとつとして、たいへんに使いでがある。黒い紙の上にコンコルドを置き、五十五ミリの

マイクロ・レンズをつけたカメラでのぞきこむと、ひっくり返した腹面は別にして、それ以外の部分なら、どんな角度からとらえても、コンコルドはさまになる。

コンコルドの模型を使って、凝った写真を撮るための準備を僕はいま進めている。その前段階として、なにかが印刷してある紙の上に、あるいはそのそばに、一機のコンコルドをただ置いただけという単純な構図で、練習的に多くの写真を撮り、コンコルドの美しさを

いろんなふうに僕は確認しているところだ。

そのような写真のうちの三点が、ここにある。コンコルドととともに映っているのは、外国のファッション雑誌だ。このような取り合わせだと、どんなものとともにあっても、コンコルドはすんなりとそれと調和し、寄り添ってしまう。平凡な言いかたになるが、コンコルドの造形は女性的なのかもしれない。真にすぐれて女性的な造形は、それ以外のどのようなものとも、少なくとも造形的には、なんの無理もなくごく自然に、共存出来るのだという仮説を、僕はいま楽しんでいる。

(1994年4月 住宅メーカーPR誌掲載)

※この文章と原稿は片岡義男さんからの許可をいただいて掲載しております。無断転載を固く禁じいたします。

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