1994年 昼月の幸せ(僕の日常術)
「昼月の幸せ」
片岡義男・文
僕の仕事はひとり引きこもって文章を書くことだ。仕事の時間は夜ですか、ときかれることが多い。僕は昼間に仕事をする。午後から夕方にかけて、そして暗くなっていくまでの時間が、特に僕は気にいっている。
仕事をする部屋には窓がふたつある。ひとつは東に面し、もうひとつは南に向いている。バルコニーへ出ると、北東から南西までを見渡すことが出来る。
デスクに向かっていて、ふと窓ごしに空を見ることが、一日に何度もある。空というものは、たいへんいい。思いがけない位置に昼の月が出ているのを見ると、僕は幸せな気持ちになる。淡くせつなく、うっすらとセンチメンタルな、そしてさらに言うならほのかにメランコリックな気持ちに支えられた幸福感を、僕は昼の月から受け取る。
その昼の月を、僕はしばしば写真に撮る。なんの目的もなく、ただ撮りたいから撮る。昼月と自分との関係のありかたを、写真に撮ることによって僕は確認しようとしているのだろう。
望遠レンズでたくり寄せないかぎり、昼の月は空のなかの小さな白いひとつの点だ。しかしこの白い小さな点は、造形的にも雰囲気的にも、たいそうすぐれている。だからかなりおおまかに写真に撮っても、出来たカラー・スライドを見ると、もの静かになにげなく、しかし見事に、昼の月は絵になっている。
昼の月の写真が、僕の手もとにたくさんある。僕がいつも見るおなじ空に浮かぶ昼月だが、よく似ているようでいてどれもみな微妙に異なる。ふと視線を向けた空に昼の月を見たその瞬間を、僕は写真で自分のものにして残している。
ごくたまに、そのような昼月の写真は、たとえばこのページにあるように、印刷されて僕以外の多くの人たちの目に触れることになる。印刷されたのを見ると、実際にその昼月を見たときとまったくおなじ幸せな気持ちを、僕はもう一度、体験する。
(1994年1月住宅メーカーPR誌掲載)
※この文章は片岡義男さんの許可をいただいて掲載しております。無断転載を固く禁じいたします。※本サイトへのお問い合わせはケーアンドケーまで03(3981)6985
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