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2012年7月11日 (水)

1992年充実した毎日を送るための時間術

<特集テーマ「時間術>より

充実した毎日を送るための時間術

高山ビッキ・文

プロローグ

誰にとっても、空に抱く夢は大きい。64で地にリードしている海も広くてデッカイけど、空はその両方を包み込んでいる。「あなたにとって空のような人って誰?」と問う心理テストがある。その人は、あなたが世の中でいちばん好きな人だそうだ。当たってる?

1783年、フランスではモンゴルフィエ兄弟が紙で作られた熱気球の初飛行に成功した。そして、1903年にはアメリカのライト兄弟が人類最初の動力による飛行に成功した。

その空に繰り広げられた歴史に反して、個人史では、ジェット機で空を飛んだ後に、最近、熱気球による生身の空を体験した。おずおず空に浮かび上がり風まかせで飛んでいく気球に乗っていると、天空にいる神様も旧い付き合いの友達のように感じられた。

その後、花の名前にも星の名前にも詳しくない私は、ようし、昼間の空の名前に明るくなろうと決めた。そうして本屋さんで見つけたのが、その名も「空の名前」という写真集。ページごとに吸い込まれそうな、なつかしい空、空、空…。そういえばすっかり、空を見る時間をなくしていたことに気づく。

雲も、雨も、雷も虹も風も、みんな空から生まれたもの。そして、季節は空が世界一広いステージで演奏するシンフォニー。そう、季節の移ろい、時間の流れそのものに空は関わっているのだ。

一日中空を見ていて飽きない人は、夢をもっている人だと思う。空には、描いても描いても描ききれない未来があるから。以前バカンス上手のフランス人に「あなたにとってバカンスって何?」と聞いたら教えてくれた。「空っぽになること」。

第1章 恋すること

「恋とシンクロニシティ」

砂が落ちきったはずのあなたの砂時計がアップサイドダウン、再び時を測り始めたら、それは新しい恋の始まりかもしれない。

そんな気持ちになったことないだろうか。恋なんて一生しないかもしれない。もう二度と恋なんてするものか。そんな頑なな思いに対して「時間」はいたずらを企てる。だって「時間」は一時も休まず動いている訳だから、「恋の時間」を止めてしまっている人が許せない。スキを狙っては時間の流れに引き戻そうと、実は陰で、いろんな偶然を仕掛けているのだ。

運命の人に出会うコツって、この「時間」の性格を知ること。「時間」が仕掛けてくれた偶然()に敏感になること。つまり、ユングのいうシンクロニシティ(共時性)の存在を理解することなのだ。シンクロニシティとは恋する者同士の間に普通に起こるマジックのようなもの。

たとえば、こんな経験はないだろうか。誰かを好きになると、その人と同じ名前が目についてしょうがない。街を歩けばビルの名前から、新聞を開けば活字の中から、また、何気なく耳にする他人の会話の中から、その名前がわざとらしいほどクリアに飛び込んでくる。

思わず、ちょっとのめり込み過ぎかなあ、なんて自制する。でも、それは自分の想いだけによって起こることではなく、相手からの信号だったり、二人を見守るもっと大きなもののしわざだったりする場合もある。

だから、シンクロニシティの可能性を信じる想像力を磨くことは、恋愛能力を高めることに繋がる。これによって電車の中の不特定多数の人の中から、運命の人を見つけることだってできるかもしれない。

さて、シンクロニシティが理解できたら、新しい目で街を見回してみよう。あなただけに正しい信号を送っている人はいないだろうか。あなたと創る物語の暗号を握っている人はいないだろうか。その人に近付いたら、きっと皮膚がざわつくはず。

たとえそれが砂時計の落ちる間のようなはかない恋に終わったとしても、それはそれで恋の妙味というもの。ルージュを引き直して、もう一度街に出掛ければ、また新しい恋が見つかると思う。恋にシンクロニシティ(偶然の一致)はつきものだから。

●恋の絶対時間

男と女がアナログ時計の二本の針のようなハート・チェイスを展開した後、ようやくヌーンを迎える。これからは、そんなアフタヌーンの恋、つまり相思相愛(最近じゃあ死後かしら)になってからの恋と時間との関係の話。

せっかく、ポカポカ、ヌクヌクした午後の陽気のような時間を共有した二人に、「時間」は、また、いたずらを仕掛けてくる。二人の大切なモニュメントのアナログ時計を、そっとデジタル時計にすり替えてしまうのだ。「時間」としては、自分は一時も休まず時を刻んでいる訳だから、まるで永遠を手に入れでもしたかのように喜んでいる二人に嫉妬を覚えるのだろう。

そんなことに気づかない恋人たちは、二人だけのルールづくりを楽しんでいる。電話をかけあう時間、週末の過ごし方、待ち合わせの場所、…。ルールと言っても、できるだけ音楽のコード進行や幾何学模様のような綺麗な法則で二人の絆を強めて行きたいと思う。そこが「時間」の狙い目だ。

お互いの時間感覚の差に容赦なく「時間」はつけ込んでくる。いつもの時間に電話がない。週末のスレ違いが起こる。待ち合わせにどちらかが遅れる。そんな時に、これ見よがしにデジタル時計が始動する、シャカッ、シャカッ、シャカッと。恋の終わりへの秒読みでも始めたかのようにね。

頭の中で、待てども来ない相手と自分との花占いが始まる。来る、来ない、来る、好き、嫌い、好き、相性がいい、悪い、この恋は幸せ、不幸せ…。これが恋のデジタル期だ。恋愛が一分一秒を争うスポーツのように思える頃。疲れるけど、この時期を通過しない恋ってちょっと味気ない。やっぱり戦わなくっちゃ。

誰と戦うってわけじゃない。0か1かで測られるデジタル時計に対する果敢な挑戦だったりするのだ。それが、つまり、恋に一生懸命だということ。そうして、「時間」の悪戯で失ったアナログ時計を取り戻したら、二人の勝利。お互い許し合える余裕を持ちながら付き合っていけると思う。恋から愛に変わるってそういうことかな。

そして、もしその恋が愛に変わる前に終わっても、恋に一生懸命になれる女性は動じない。無機的に流れる時間とは別次元で、とっても素敵な時間をつかみとったから。

恋はやがて終わるもの、恋には絶対時間がある。四年といった作家がいる。素敵な恋だったかどうかは、無償の時間を過ごせたかどうかで測ることができそうだ。

第2章    仕事

「7年目の不思議」

マリリン・モンロー没後30年ということで公開されている映画「7年目の浮気」を観た。何に驚いたかって、モンローと浮気しそうになる男の奥さん、この人が31歳の設定なのだが、現在の感覚からするともっとずっと上の、落ち着いたイメージなのだ。

一瞬我が身を振り返り浮き足だったが、シガニー・ウィーバーやキム・ベイシンガーなど現在30歳を越したあたりの現役バリバリの女優さんを思い浮かべることで、ようやく冷静さを取り戻した。時の流れは女性の年齢イメージも変えるんだと理解することでね。因みにその映画の中でのモンローは22歳。考えてみると、あんな酸いも甘いも噛み分けた色気を発散する若い女性も、今、現実にはいない。

生活環境の変化によって、人間の成長速度にも変化が起きている。食生活の変化は身体的成長を促進させ、情報環境の変化は現代の若者を早熟にした。ところが、一方、社会的・精神的速度となると逆に後退しているように見える。それが良く言えばいつまでも若い、悪く言えば大人になりきれないということになるらしい。

健全な細胞分裂をくり返した身体をもつ人間ならば、周囲がとやかく言わずとも大人になる決心をする時期がくるはずだ。さて、大人になっていい仕事をしたい人のために7年というサイクルの不思議について話をしよう。先の映画でも、精神科医が「男は結婚7年目に浮気に走る傾向がある」と分析していたが…。最近、普通に暮らす人の成長過程を7年ごとに追い掛ける、ユニークで気の長い試みをしたイギリスの放送局の番組が日本で紹介され、観る機会を得た。グラナダテレビ制作の番組「世界の7歳」。同じ人物を7歳から初めて、14歳、21歳、28歳、35(現在はここまで)と、暮らしぶりなどがどう変化したかをカメラに収めている。

見る側はどうしても自分の人生と照らし合わせてしまう。そうしてみると、21歳から28歳の7年間に人生が大きく変わる人のケースが目立つ。人間にとって、この時期は子供から大人へと自然に脱皮する時期なのかもしれない。

つまり、社会的動物である人間の生活細胞は7年で入れ替わる。10年よりも流動性があって適当なサイクルなのかもと。そこで自分の人生や仕事のやりがいなどについて考えるとき、あなたにとっての「7年」というサイクルを意識してみてはどうだろう。これまで自分の人生の中で繰り返された7年で、あなたの物事への興味や生きがいがどう変化してきたか、とかね。これからの「7年」がもっと生き生きしてくるかもしれない。

●サーカディアンリズムと自分内速度

人には人それぞれの内にもつ時間感覚があると思う。バルセロナオリンピックで活躍したアスリートたちの筋肉にも速筋と遅筋があるように、性格にも速い、遅いがある。性格の速い人は、機敏とか、またはせっかちと言われたり。反対に遅い人は、おっとりしているとか…。

ともあれ、そんないわば自分内速度に乗って活動する方が、タイムレコーダーで秒刻みに試す社会に縛られるよりも、なんか体によさそうだ。もちろん、機械仕掛けの時計にしたがわなければ仕事が成立しない場合もあるし、アスリートたちの競う1秒の差が人類の夢に繋がっていることなどを考えると、機械時計の存在やそれに合わせることの意味を否定するつもりは更々ない。

ただし、社会という枠の上にはもうひとつ大きな自然という枠があり、それに同調するほぼ一日単位の周期、サーカディアンリズムを無視するなら、いつかその代償を払わされることになることを忘れてはいけないということ。

バイオリズムがあって、サーカディアンリズムもその一種だが、周波をコンピュータではじきだしてそれに合わせるというのも違うような気がする。むしろ、毎日毎日をちゃあんと新しい時間として感じ、自分なりのイメージで朝・昼・夜を描き出していく。その訓練が必要。

朝は生まれたての子供のように活発に、昼は青年のように前向きに何かに熱中し、夜は老練な紳士のようにゆとりをもって遊び、寝るときはいさぎよく…。つまり、一日を一生の最小単位の短縮形として生きる。これが一日一日を大切に生きるってことなんじゃないかな。

表面上は昨日と変わらない今日という日が、本人が生まれ変わることで新鮮に感じられる。いつもイキイキしている人の秘訣ってそのあたりにあるのかも。

子供の頃のように何かに夢中になれる時間をサーカディアンリズムに乗ることで回復する。自分の身体の自然なリズムの中に社会の時間尺度を組み込めば、仕事はもっとも楽しくなるのかもしれない。

第3章   

「クロノスから逃げる旅」

恋や仕事には、自分の意志ではどうにもできない時間の流れが絡んでくる。この人を一生愛し続けよう、この仕事ならきっと長続きする、そんな「最初」の願いや想いを、時間は無下にも風化させる。

時間の神、クロノスのしわざだろうか。よくタイミングがいい悪いという言い方をするが、運がいい悪いを具体的に言い換えたものだろう。もう少し早く出会っていれば、やめるタイミングを逃したから今だにズルズルと、なんてね。

その、自分ではどうしようもない「時間」から逃れるために、人は旅に出るのだと思う。恋から距離を置きたいとき、仕事に疲れたとき、旅情にかられるでしょ?旅の中で人は匿名性を帯び、自由になる。何者でもなくなり、ここではない何処かをいつも彷徨う状態。それがクロノスから解放される癒しの時間なのだ。旅はだれにとってもすばらしい。だから、そら、時計を外して旅に出よう。

●タイムトラベルなんて、簡単、かんたん

睡眠を一日8時間とる場合、私達は一日の1/3を活動のできない無用の時間と考える。眠らないで済む身体をもっていたら、もっといろんなことができるのになあと思うのが、24時間都市に住む現代人の本音。

ところが、我々と祖先を同じくするかもしれないインディアンは、そう考えない。彼らは夢で見たこと、現実に体験することの間に虚実の差をつけない。彼らが創る詩には、だから、たとえば家が空を飛ぶなどという、私達にとっては不条理に思えることが、普通に起こるリアルなこととして描かれている。

そう言えば、私達にも、夢に妙なリアリティを感じるときがあるもの。自分のもうひとつの思い出としてファイルしたくなるような夢がある。ほら、夢の中には平気で子供の頃の自分が登場するじゃない。つまり、過去に帰ることができる。その一方で、夢の中で近い未来を感じてしまう正夢もある。

夢じゃなくてもいい。目覚めていると思っているときでも、何か特別なものを視たり、聴いたり、臭いだり、味わったりしたときに、普段忘れていることをありありと思い出すことがある。タイムとラベルとは、このことを言うんだと思う。

要するに、私たちの頭の中は、宇宙空間に匹敵する未知の領域なのである。アーノルド・シュワルツェネッガー主演の映画「トータル・リコール」は、まさにその辺りのことを描いていた。現実の機械時間で測る一秒が、一生のようにも、人類の歴史のようにも感じられる体験は、実はすべて脳の中で起っている。その時、時間の観念は消える。映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」でドクの発明したデロリアンが消える瞬間は、そういう感覚のアナロジーと考えてもいい。

そして何かに夢中になっているときというのは、このタイムトラベルに近い現象が起こる。現実の時間は、自分の意志に反して飛ぶように感じられるはずだから。

時間をゆっくり進めたり、スピードを速めたりということを、居ながらにして自在にできたら、それだけでもう旅の快感。それには、普段から、時間と戯れる心のゆとりをもつことが大切なのだ。

199210月ファッション専門店PR誌掲載)

※この文章は高山ビッキが1992年に企業のPR誌に執筆したものほぼそのまま掲載しています。無断転載を固く禁じいたします。※本サイトへのお問い合わせはケーアンドケーまで03(3981)6985

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