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2012年7月10日 (火)

2001年 エリスマン邸(先人の暮し方に学ぶ)

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●エリスマン邸(アントニン・レーモンド設計)

日本人の住まい方のなかにモダニズムを発見した建築家

高山ビッキ・文

幕末の開港以来、外国人意留地としての歴史をもつ横浜山手は、散策しながら多くの異人館を見て楽しめ、時にはそうした古い洋館の中でお茶を飲むこともできます。平成2年に元町公園内に復元されたエリスマン邸も気軽に立ち寄れる異人館のひとつです。

元々山手127番にあったこの建物は、大正15年に創建された木造2階建ての住宅。建築主のエリスマンは、スイス生まれで、明治21年に来日し、戦前最大の生糸貿易商シーベルト・ヘグナー商会の横浜支配人として活躍した人です。

日本人と結婚し横浜にとけ込んで暮らしたエリスマンは、妻や使用人のために和館付きの洋館を建てました。昭和15年に亡くなり、横浜山手の外人墓地に眠っています。

さて、横浜の歴史を物語るこの旧エリスマン邸は、実は、住み手を失ってからはマンション建設のために取り壊される運命にありました。しかし市民からそれを惜しむ声が上がり調査したところ、これが旧帝国ホテルを設計したフランク・ロイド・ライトの助手として来日し、その後日本の建築界に大きな影響を与えたチェコ人建築家アントニン・レーモンドの設計によるものだということがわかったのです。

残念ながらすでに和館の方は取り壊されていましたが、洋館部分だけが移築再建され、レーモンドの作品とその建築思想の一端を後世に伝える場所としてよみがえりました。

アントニン・レーモンド(18881976)は、ボヘミアのグラノド生まれ。文字通りボヘミアン的生き方をしたレーモンドは、プラハの工科大学で建築を学んだ後、パリ、ニューヨークと渡り歩き、大正8年(1973)年にライトともに横浜港に到着しました。

その後は、旧帝国ホテルの完成を見ずに日本を離れたライトとは対照的に、レーモンドは日本への定着を決め、昭和481973)に離日するまで、第二次大戦中を除き、40年近くの間、多くのすぐれた建築を残し、前川國男、吉村順三など優秀な日本人建築家を育てました。

戦前の代表作には、東京女子大のチャペルや講堂、聖路加病院、アメリカ大使館などがあり、戦後は、リーダーズダイジェスト東京支社、群馬音楽センター、南山大学などを設計したことで知られます。

ビッキの住宅温故知新

和と洋が自然に融け込んだレーモンドスタイル

大正15年に建てられたこの建物は、アントニン・レーモンドにとって住宅建築を再考する時期の作品だったと言えるかもしれない。その大きなきっかけとなったのは、大正12年の関東大震災である。

エリスマン邸の外観は、バルコニー・屋根・窓・鎧戸・煙突といった震災前の異人館的要素を受け継ぎながら、大小ふたつの寄棟屋根を雁行形に配した明快な構成やフランク・ロイド・ライトの影響と思われる出の深い軒の水平線の強調に、明らかに新時代の洋館意匠への取り組みが感じられる。また震災時、屋根瓦がすべり落ちるのを目の当たりしたレーモンドは、この住宅では天然スレート葺きにしている。

構造は、木造軸組工法で外壁下地材は斜め打ちに、また、構造材は太く、筋かいも多用するなど耐震性を高めている。レーモンドは単純な材料と構造に行き着くモダニズム建築を追及する過程で、日本人の自然観に基づく建築こそがまさにそれであることに気づく。

そして戦後は、それを「レーモンドスタイル」という手法に高め、自らは「自然性、単純性、直截性、正直性、経済性」の5つを信条に、和と洋が自然に融け込んだ建築の国際的な普及化を推進した。

20011 住宅メーカーPR誌掲載)

■エリスマン邸231-0861 神奈川県中区元町1-77-4TEL.045(211)1101開館時間:9:3017:00 喫茶室ご利用時間:10:0016:00 入館料:無料 休館日:第2水曜日(祝日は開館し翌日休館)年末年始(1229日~13日)

※この文章は高山ビッキが2001に企業のPR誌に執筆したものをほぼそのまま掲載しております。無断転載を固く禁じいたします。●このサイトへのお問い合わせはケーアンドケーまで 03(3981)6985

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