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2012年7月13日 (金)

2003年 三井八郎右衛門邸(先人の暮し方に学ぶ)

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「三井八郎右衛門邸」

日本最大の財閥を支えた経済人としての美意識

高山ビッキ・文

三井家は、今もその名に威光を残す近代日本最大の財閥でした。江戸期以前に三井越後守と名乗った「遠祖」をもつ一族は、延宝元年(1672)に江戸に呉服屋を開業した高利(たかとし)を「家祖」とし、代々天下の豪商としてその名を高めていきました。代々当主は「八郎右衛門」を襲名。

現在、小金井市の「江戸東京たてもの園」に復元されている「三井八郎右衛門邸」は、その三井同族十一家の総領家十一代当主、三井八郎右衛門高公(たかきみ)氏の第二次世界大戦後の邸宅です。敗戦後の財閥解体を経た昭和27年(1952)に、現在の西麻布三丁目に建てられたもの。

財閥解体後の建物とはいえ、それは先代までが築いた京都油小路、神奈川県大磯、世田谷区用賀、京都今井町にあった三井家に関連する施設から建築部材、石材、植物などが集められており、財閥が繁栄していた頃の威勢を窺うことができます。

特に、食堂・客間に使われた一階の書院の二間は、高公氏の父、総領家十代当主高棟(たかみね)氏が自ら設計に関わった部屋。これは明治30年(1897)頃に完成した京都油小路三井邸の奥書院の一部で、窓や欄間に桂離宮の意匠を取り入れたといわれています。

また、望海床(ぼうかいしょう)と名付けられた和室は、高棟氏が晩年を過ごした大磯城山荘(じょうざんそう)からの移築。この別邸は、奈良薬師寺をはじめとする全国の社寺から古材などを集め改めて建築資材として再生をはかるという、当時最も奇抜な発想と最大限の耐震構造で設計されました。

代々の当主のなかでも維新の動乱の後、近代日本とともに三井財閥を発展させた高棟氏は、財閥解体が進む昭和23年にその大磯の別邸で91歳の生涯を閉じました。

「三井八郎右衛門邸」では、襖や杉戸などに髙棟氏と親交の深かった円山四条派の画家の絵や髙棟氏本人の絵や陶器なども見ることができます。

経済人として厳しい時代を生き抜きながら、人として生きることの美意識を磨き続けた三井八郎右衛門高棟氏。代々質素・倹約をたてまえとし、人を遇し育てた三井家。その遺構からは、「人の三井」といわれる歴史を築いた一族の、事業家としての美学が伝わります。

ビッキの住宅温故知新

●伝統と同時代性の巧みな融合

本邸の南側は木造で、柱、長押、欄間、障子などの伝統的要素を備えた構成。北側は鉄筋コンクリート造りで装飾的要素を廃した簡素で機能的な構成に。ただし、南側の食堂や客間には、畳の上に絨毯を敷き椅子やテーブルを置く、和洋折衷の生活様式をとっていました。

また、かつては城山荘にあった玄関ホールにあるルネ・ラリックの照明のガラスボールからは、高棟氏がいかに当時の流行に敏感だったかが窺えます。そしてそのガラスボールを支える部分には三井家の家紋である「隅立て四つ目結紋」が見えます。

日本の家紋がジャポニスムに刺激されたヨーロッパの画家たちに意匠として使われ、それが近代デザインのひとつの要素だったことに再び関心が寄せられている現在、とても斬新な発想と見ることができます。

■三井八郎右衛門邸(江戸東京たてもの園内) 江戸東京たてもの園 184-0005東京都小金井市桜町3-7-1(都立小金井公園内) 0422(388)3300 開園時間:9:3017:50(4月~9) 9:3016:3010月~3月) 休園日: 月曜日(祝日または振替休日の場合はその翌日)、年末年始(1228日~14日) 入園料:一般400円  交通:JR中央線「武蔵小金井」駅北口よりバス5

20037月住宅メーカーPR誌掲載)

※この文章は高山ビッキが2003年に企業のPR誌に執筆したものをほぼそのまま掲載しております。無断転載を固く禁じいたします。 ※本サイトへのお問い合わせはケーアンドケーまで03(3981)6985

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