2002年 旧マッケーレブ邸(先人の暮し方に学ぶ)
雑司が谷旧宣教師館
「旧マッケーレブ邸」(東京・豊島区)
国境のない精神から生まれた
質実な洋館 高山ビッキ・文
豊島区の「雑司が谷霊園」付近は、都内の散歩スポットのひとつ。夏目漱石や小泉八雲など文豪も眠るこの霊園なら、機知に富んだゴーストに出会ってしまうかもしれませんね。この「旧マッケーレブ邸」はそんな散策者に偶然“発見”されることも多いようです。
現在、東京都及び豊島区の文化財に指定されているこの木造の洋館は、米国人宣教師ジョン・ムーディ・マッケーレブ(1861~1953)によって明治40年(1907)に建てられました。当時日本に数多く建てられたいわゆる外国人宣教師館のひとつです。
建物には、19世紀のアメリカ東部に見られた住居形態の特徴がよく表れています。全体のデザインは米杉(アメリカン・レッドシーダー)(シングル)で外壁を葺くシングル様式。また、森林資源が豊富で木造建築が主流だった19世紀のアメリカでよく見られた、カーペンター・ゴシック様式(ゴシック様式を大工の職人芸で実現する)が細部の装飾に生かされています。
テネシー州のナッシュビル郊外に生まれたマッケーレブは、クリスチャンとして高い理想に燃えて1892年に初めて日本にやってきました。そして1941年の日米開戦により帰国するまでの約50年間を日本で宣教師として活動しましたが、その理想は打ち砕かれることも多く、土地や資金を失うことも多々あったようです。それでも帰国後は、日系人収容所の慰問や日本への義援金の送付など我が国への支援を惜しまなかったと言います。
「私の国籍は天国にあるから」と考え、国境意識を持たなかったマッケーレブ。その帰国後、邸宅の住み手は何度か変わり、最後はマンション建設計画のため取り壊しの運命に差し掛かった時、住民運動が起こり、昭和57年に豊島区による保存が始まりました。マッケーレブの想いは半世紀の時を経て、私たち日本人に伝わったのでしょうか。
■ビッキの住宅温故知新
19世紀後半のアメリカ郊外住宅にみる
質素な贅沢
現在、日本の都市郊外にたくさんの洋風住宅がつくられているが、そのルーツとも言える原型は19世紀後半のアメリカの郊外住宅と言えるかもしれない。そのひとつの例がこの「マッケーレブ邸」である。
質素ながらシングル様式、カーペンター・ゴシック様式といった特色と全体に漂う品格を備え、今の日本人にも安心と普遍性を感じさせてくれる。間取りは上下階同様で、それぞれ三部屋あるコーナーにはすべてマントルピースが設けられているが、1か所の通気孔に集約させることで省エネを図っている。
ただし、1階の居間の暖炉のデザインだけはアールヌーボー風のタイルを使うなど、質素な中にもささやかな贅沢を忘れていない。また、開口部を大きくとった上下階の広縁はサンルームの役割を果たしている。広縁と食堂との間の窓は室内でありながら上げ下げ窓になっていることから屋外的な意味があったのかもしれない。
(2002年4月住宅メーカーPR誌掲載)
■雑司が谷宣教師館
「旧マッケーレブ邸」
〒171-0032東京都豊島区東池袋1-25-5 TEL&FAX.03(3985)4081 開館時間:9:00~16:30 休館日:月曜日(祝日の場合は開館)、第3日曜日 祝日の翌日、年末年始、臨時休館日※ 入館料:無料 交通:東京メトロ有楽町線東池袋駅徒歩10分 東京メトロ副都心線雑司が谷駅下車10分
※平成24年7月2日~平成25年2月下旬まで事務棟建替えにつき臨時休館。
※この文章は高山ビッキが2002年に企業のPR誌に執筆した原稿をほぼそのまま掲載しております。また「旧マッケーレブ邸」様にも原稿及び画像の再使用にあたり許可をいただいております。無断転載を固く禁じいたします。※本サイトへのお問い合わせはケーアンドケーまで03(3981)6985
| 固定リンク
「史跡めぐり/先人の暮らし方に学ぶ」カテゴリの記事
- 2000年 旧吉屋信子邸(先人の暮し方に学ぶ)(2012.11.26)
- 2000年 成城五丁目猪股邸(先人の暮し方に学ぶ)(2012.10.17)
- 2001年 旧松方正熊邸(先人の暮し方に学ぶ)(2012.10.11)
- 2002年 自由学園女子部校舎(先人の暮し方に学ぶ)(2012.08.15)
- 2002年 旧マッケーレブ邸(先人の暮し方に学ぶ)(2012.07.31)
最近のコメント