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2012年7月10日 (火)

1999年 三鷹市山本有三記念館(先人の暮し方に学ぶ)

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●三鷹市山本有三記念館(東京・三鷹市)

昭和初期のおおらかなモダニズムをファンタジックに伝える洋館 高山ビッキ・文

JR三鷹駅から玉川上水沿いを歩いて10分ほどのところにこの記念館はある。まず、石をあしらった背の低い白い門を発見すると、そこからは大きな樹木がさえぎり家の全貌は見えないが、メルヘンの世界に足を踏み入れるような期待感に胸がときめく。が、その前にもうひとつの発見。門のそばに大きな石がある。それが“路傍の石(ろぼうのいし)”。

この家は小説家山本有三(18871974)が、昭和11年から21年までを家族とともに暮らし、小説『路傍の石』を生み出した家なのである。

『路傍の石』は、家が貧しくて向学心を抱きつつも中学に進学できずに奉公に出された少年が、そんな逆境を跳ね飛ばして上京して苦学する姿を描いた、社会派小説である。

小説に描かれた主人公の吾一少年を取り巻いていた環境と、あまりにもちがうその作者の家に戸惑う人も多いようである。しかしもし、吾一少年がいつか住みたいと夢見ていた家がこんな瀟洒な洋館だったとしたら…。

『路傍の石』は戦時下の検閲干渉のために執筆は中断され、完成していない。けれどもこの家は、描かれなかった少年のその後の生き方を想像するときに全く別の小説の展開さえ期待させる。しかし吾一少年がその後どんな人生を歩もうとこの家には、どんな境遇にあっても明日は今日よりすばらしいと前向きに信じる山本有三、そして当時の日本人のおおらかな近代精神が今も宿っているようだ。

■ビッキの住宅温故知新

震災後に建てられた、しっかりとした構造と折衷様式の洋館

この家は大正末期に建てられた住宅を、昭和11年に山本有三が購入したものである。設計者は不詳だが、関東大震災後の郊外の家ということで、戦前の日本の木造住宅としては耐震性もあり実に堅牢につくられている。

建物は大正時代ならではの自由な折衷表現をもっている。まず、外観の最も大きな特徴である暖炉煙突の石積みは、日本の洋館には珍しく荒々しいデザインで、スコティッシュ・

バロ二アル様式に近い。全体にアーチが多用された造りはゴシック様式的だが、自然庭園のなかにある煉瓦と石の家というイメージはイギリスのカントリー・コテージ風。

ドアや窓の金具はドイツ製。曲線と幾何学的模様の両方が見られる壁面や内部は、近代の装飾様式ユーゲント・シュティールやアール・デコの影響にも見えるが、日本の近代的

な文様にも通じる。また、庭に面したテラスや2階のバルコニーはコロ二アル風である。

そして晩餐客用のドローイング・ルームや意匠を凝らしたマントルピースのある、こんな本格的洋風建築のなかに、忽然と数奇屋風書院造りの和室が現れる。(この和室は有三の好みで後から改装しつらえたもの。)

震災後、このような様式混淆の住居は多数造られたそうだが、現存しているのは珍しい。自由な表現はしっかりした構造に守られている。

19997月住宅メーカーPR誌掲載)

三鷹市山本有三記念館

181-0013 東京都三鷹市下連雀2-12-27 TEL.0422(42)6233URLtp://mitaka.jpn.org/yuzo/ 入館料:300(20人以上の団体は200)※中学生以下及び障害者手帳持参の方と介助者は無料。校外学習の高校生以下と引率教諭は無料。休館日:月曜日(月曜日が休日の場合は開館し、休日を除く翌日と翌々日を休館)年末年始(1229日~14日)開館時間:9:301700交通:JR中央線三鷹駅南口より徒歩12

※この文章は高山ビッキが1999年に企業のPR誌で連載していたものほぼそのまま掲載しております。無断転載を固く禁じいたします。※本サイトへのお問い合わせはケーアンドケーまで 03(3981)6985 URL:http://kaeru-kan.com/kayale-u/ (WEBカエ~ル大学)

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