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2012年7月11日 (水)

1994年 思いがけない人

「思いがけない人」

片岡義男・文

ぱっとひと目見たとき、この女性に僕はヨーロッパを感じる。イタリーの人だということを知っているからそう思うのではなく、確かに、どこかに、ヨーロッパを彼女は持っている。

髪の作り、化粧のしかた、表情、着ている服などは、1960年代なかばのハリウッドが盛んに提唱していた女性美のありかたの、ひとつのたいへんにすぐれた典型だ。

すべては当時のアメリカの価値観のなかでの女性美だが、それをかいくぐって表面に出て来るヨーロッパが、彼女にはある。そしてそれが、彼女の魅力を増幅している。ひょっとしたら、当時のハリウッドの手だれたちは、彼女が魅力のひとつとして持っているヨーロッパを消さないように細心の注意を払いつつ、そこにアメリカをつけ加えたのかもしれない。

ここにある三つの写真で見る彼女は、じつに見事にフィクションだ。当時と言えども、現実のなかには、このような女性の存在の場は、なかったはずだ。もしこのまま現実のなかにいたなら、一定の文脈や役割のなかにたちまち固定され、そこから出ることは出来なかったにちがいない。

必要があってアメリカの古い雑誌を大量に見ていたら、思いがけなくこの女性に再会した。ヴェルナ・リージというイタリーの女優だ。イタリーやフランスでたいへんな活躍をしたのだが、いわゆるスターになったのは、ハリウッド映画に出てからだった。

映画というフィクションのなかから、彼女のような女性が消えて久しい。成熟しきった強い大人の女性の、性的な魅力を濃厚に立ちこめさせている女性、というフィクションが成立しないほどに、フィクションの世界も現実に侵されてしまったからだ。

女性美のひとつのありかたのなかに、この女性の魅力はあまりにも完結しすぎている。現実のどこともかかわることのない、完璧なフィクションだ。

1994年7月住宅メーカーPR誌掲載)

※この文章は片岡義男さんの許可をいただいて掲載しております。無断転載を固く禁じいたします。※本サイトへのお問い合わせはケーアンドケーまで03(3981)6985

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