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2012年7月17日 (火)

1993年 糸偏deいとおかし(映画 特集テーマ)

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<特集テーマ・糸偏について考える>

糸偏のアンソロジー

「糸へん de いとおかし」

高山ビッキ・文

世界が一本の糸のようだった時代は終わった。極と極を結び、ピンと張りつめていればいるほど、もろくも美しくもあった人間関係のあり様が変わった。

西と東、そして男と女。「わたし」の生活とは一見距離のある政治の問題から、「わたし」の目下の関心事である恋愛問題にまで、その変化の波は押し寄せている。

そこで今回、先の読めない時代の人生哲学を、糸そのものではなく、糸偏が作り出す多次元世界に求めてみた。たとえば、自分と語り合うゆっくりした時間を過ごしながら、好きな色を思い浮かべてみる。それも、あえて糸偏の色を選んで。グリーンより緑を、ブライトレッドより紅を、インディゴブルーより紺を……。

流行色にゆがめられている色彩感覚をみつめ直し、その色に関する自分の様々な記憶を思い起こしてみる。そうして、その好きな色の糸たちを結んで、編んで、織ったり、縫い合わせたり。つまり糸偏的手作業によって自分を一幅のタペストリーに仕立ててみる。

これでいいと思っていたのに、糸がこんがらがっていたり、いつの間にか色褪せていたり。でも今の自分が手にとるように見えてくるだろう。

なにも最初から完成された作品である必要はないのだ。世界の各地域で古くから伝わっている織物は、外から入ってくる異質の文化もどんどん織り込んでいくからこそ、現代に生きる文化として受け継がれているものが多い。

織られた「自分」のはしっこが、ちょっとほつれたりしているのも「いとをかし」なのだ。そこを誰かの織物に繋ぎ、絡めてみる。たとえ異質の取り合わせでも、合わせてできる絵柄が美しければ、コミュニケーション成立と理解していい。糸偏が紡ぎだす先には、古くて新しい重層的な世界が見えてきそうだ。

線や形が複雑に交差するような人間関係も、ひとつの綾だとわかればこっちのもの。創造のスケールが大きくなればなるほど、綾(法則)は求められるのだから。

それがどんどん大きくなり、マクロの視界から見てただの網のように見えることを、ネットワーキングと呼ぶのかもしれない。そうして初めて、「自分」という織物が「宇宙」という織物の一部になる。そんな、いとをかしき世界にわたしたちは生きている。

ピックアップシネマ

「愛に翼を」

「潮風のいたずら」

子供の頃よく遊んだ公園に、20年ぶりぐらいで行ってみた。小高い丘に昇ると、体育の授業でスキーをした記憶が、当時のリアリティそのまんまに甦った。スピードも、高さも怖かった。臆病な子供だったことを思い出した。記憶の海に糸をたれ、忘れ去って久しいものを引き上げるだけで、何か癒されたような気になる。

人は、自分の中の、〝大切な糸〟が断ち切れた状態に陥ったとき、果てしなく悩み、病むものではないだろうか。今回紹介する2本の映画からは、その〝大切な糸〟の紡ぎ方を見ることにする。

『愛に翼を』では、最初、登場人物がみな絆を失っている。家族愛と言う、いわば天然の絆になんらかの問題が生じている。二人の間に埋めようのない溝のある夫婦も、ひと夏をその夫婦の元で過ごす内気な少年も、そして少年と友達になるおませでおてんばな女の子も。

絆を見失って次の一歩を踏みだせないでいる彼らは、言わば〝糸偏喪失症〟だ。だが、血縁関係でもなく、その後会う可能性も少ない人間模様にもかかわらず、それぞれがお互いを鏡とすることで新しい絆を見いだしていく。

子供たちにとっては、大人になって何かにつまずいたときに、必ず正しい方向へと導く人生の伏線となっている。まさにイニシエーションの夏。それを見守ることで、大人たちも癒しを受けることになる。

一方記憶喪失という人生のホワイトアウトの期間が、純度100%タカビーな女の人格改造を果たす物語が『潮風のいたずら』だ。豪華クルーザーから転落しただけでなく、人生も転がり落ちたような設定に追い込まれるのだが、彼女が本来もっていた教養や優しさはむしろそこでこそ発揮される。

この作品でも子供との絡みが興味深い。傲慢なこの女性が愛情に目覚めていく頃には、放任教育で手のつけられなかった悪ガキどもが、彼女にしつけられたいと願うようになる。

わたしたちは、日々、溢れんばかりの情報に接して、『潮騒のいたずら』の主人公ならずとも軽い記憶喪失症にかかっているとはいえないだろうか。このところずっと「自分探し」現象が流行しているのもそのためだ。過去の「わたし」を紡いだ糸を、未来の「わたし」に繋ぐ。今、完成させることはない。そんな手技が生き方にも必要なのかもしれない。

それにしても、それぞれの作品の主演女優に感心させられるのは、ストーリー展開ととともに着実に顔が変わっていくことだ。演出のせいばかりでなく、本人の細胞そのものが変化していそうだ。細胞は美しさのモチーフだ。美しさを磨くのにも、やっぱり「糸偏」が不可欠なのだ。

BREAK

『愛に翼を』(原題「PARADISE)はメラニー・グリフィスとドン・ジョンソン、『潮風のいたずら』(原題「OVERBOARD」)はゴールディ・ホーンとカート・ラッセルという、どちらも私生活上もパートナー同士(当時)のカップルが主演している。映画というフィクションの世界にどれだけ真実の瞬間を垣間見れるか。二作品を比較してみると、見えないはずの〝赤い糸〟が見えてくるかもしれない。

■「愛に翼を」(1991年製作) 監督+脚本:メアリー・アグネス・ドナヒュー 出演:メラニー・グリフィス ドン・ジョンソン イライジャ・ウッド 製作国:アメリカ

■「潮風のいたずら」(日本公開1988年) 監督:ゲイリー・マーシャル 脚本:レスリー・ディクソン 出演:ゴールディ・ホーン カート・ラッセル 製作国:アメリカ

(199310月ファッション専門店PR誌掲載)

※この文章は高山ビッキが1993年に企業のPR誌に執筆したものをほぼそのまま掲載しております。無断転載を固く禁じいたします。※本サイトへのお問い合わせはケーアンドケーまで 03(3981)6985

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