2024年10月24日 (木)

大路・小路が歴史に連なる京都で出会う。/かえるモノ語りー自然と文化をつなぐカエル94

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<大路・小路が歴史に連なる京都で出会う。>

 

100年カエル館

高山ビッキ

 

 記録的な酷暑となった今年の9月。私たち100年カエル館は初旬の1週間ほどを京都に滞在しました。

 京都には仕事で毎年訪れるのですが、そんなに長く連泊したのは初めてのこと。

 昨今の観光客の増加で、ホテル料金は高騰しているので、どこに泊まるか悩むところでしたが、100年カエル館として開催するイベント「カエルアートマン×20展 京都編」の会場、松栄堂薫習館のある烏丸御池に歩いて通えるところに最適なホテルを見つけることができました。

 平安の都から続く、京都の大路・小路を毎日暮らすように歩いていると、京都のすべての道は歴史につながっていると感じる瞬間がしばしばありました。それは教科書で学ぶ系統立った歴史ではなく、個人的な記憶の中に収められている印象深い歴史の断片に、いとも簡単につながってしまう感覚でした。

 会津出身の私には、京都守護職の会津藩と幕末の京都が結びつき、降り立った駅に「壬生」の方向が示されていると、いるはずのない会津藩預かりの新撰組がまだそこに駐屯している錯覚を覚えます。

 毎朝、会場まで堀川通りを歩き二条城を目の前に右折するのですが、直進すれば幕末の重要な一幕に遭遇できる胸騒ぎがしました。

 「錦小路」の表示を目にすると、江戸中期にあったはずの絵師伊藤若冲の実家の青物問屋を覗きに行きたくなり、耳を澄ませば、絵巻「鳥獣戯画」に描かれたカエルのようにビンザサラを鳴らして平安時代の大道芸人たちもやって来る気配がして……。

 展示イベントには、カエルアートマンの生みの親、故柴田まさる氏夫人の和子さんも息子さんと一緒に愛知県から来て下さいました。夫人は、カエルアートマンに亡き柴田さんの存在が蘇るようで、何ごとか語り掛けられていました。

 写真は柴田さんの手に成る、コミック調のカエルが描かれた小石アート。

 京都という、さまざまな時空が交差する場所に届けられた石のカエルは、家族とやって来た柴田さん自身であることを、柴田さんのメッセージのように受け止めました。

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2024年9月19日 (木)

アートの秋に帰ってきたカエルアートマン。/かえるモノ語りー自然と文化をつなぐカエル93

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<アートの秋に帰ってきたカエルアートマン。>

100年カエル館

高山ビッキ 

 

 熱帯低気圧の大雨に悩まされた8月終わりから9月初めの日本列島。4月から「カエルアートマン×20展」を開催している100年カエル館からカエルアートマンたちが京都に向かいました。

 京都の香老舗松栄堂の薫習館松吟ロビーで、今月初旬の一週間、同展の京都編を開催しました。   

100年カエル館にとっては初めての関西での美術展の開催。本紙が発行される頃には終了していますが、本稿を執筆中の現在(9月1日)は、その準備の大詰めで各地に被害をもたらしている台風10号の影響を心配しながら進めています。

 それでもカエルアートマンは京都に向かわなければならないのです。

 生前カエル好きだった柴田まさるさんのスケッチ画(そこに描かれていた20点の絵を私たちはカエルアートマンと呼ぶことにしました)は、2019年に愛知県碧南市から喜多方にやってきました。

 その年は福島県立博物館で「ときめくカエルアート図鑑」展を開催。100年カエル館独自の「カエルアート座標軸」を作成し、柴田さんがいかに多様な描き方でカエルを表現したか、作品を分類して柴田さんのカエルアートの世界の全体像を伝えたいと思いました。

 カエルアートマンが京都に向かった理由を解き明かすことをコンセプトに企画した今回の京都編でも、このカエルアート座標軸を羅針盤として活用しました。柴田さんが人生をかけて描いたカエルの絵を、京都の美術史に登場したカエルたちにスポットライトを当てて捉え直すことで、その理由が浮かび上がりました。

 カエルアートマンたちは平安時代の京都で鳥獣戯画に描かれたカエルたちと遊び、カエルの作品もある江戸時代の京都の絵師たちに憧れたり、親しみを感じたり。そして現代では、20世紀後半に二度京都を訪れ京都にインスパイアされたアンディ・ウォーホルのようなポップスターをめざしているのかもしれないと思えました。ウォーホルは絶滅危惧種のアカメアマガエルの絵も描いています。

 10月はカエルアートマンたちが喜多方に帰ってきます。京都編で展示したパネルも紹介いたします。京都で時間の旅を楽しんだカエルアートマンたち。どんなお土産話をしてくれることでしょう。

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2024年8月12日 (月)

10月5日はカエ~ル大学登校日、カエル先生がやって来る。/かえるモノ語りー自然と文化をつなぐカエル92

 

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<10月5日はカエ~ル大学登校日、カエル先生がやって来る>

100年カエル館

高山ビッキ

 

 今夏、100年カエル館の庭にも、誕生して間もない小さなアマガエルたちがピョンピョン飛び跳ねていました。

 このカエルたちは、たぶん、同館すぐ近くのドラッグストアの脇の、道路をはさんで広がる水田で生まれたのではないかと思います。買い物に行ったとき、猛暑の中、店舗の前のアスファルトの地面の上を本館に向かうカエルを見つけました。カエルも毎年ニュージェネレーションが生まれています。

 「100年カエル館」という名前で博物館活動を始めて今年で20年になりますが、創設当初は親世代も健在だったことを思うと隔世の感があります。

 そしてその頃まだ子どもだった方がカエル好きの大人になって来館され、さらに夏休みで県内や近県から親御さんとやって来た小中学生の中には、生きもののカエルやカエルの文化史的なことまで、テレビでも話題の「博士ちゃん」ばりの好奇心あふれる子どもたちもいて、また新しい時代が始まったことを感じています。

 カエル好きとして多少キャリアを積んだ立場から、100年カエル館では新型コロナの感染が始まる前の3年間、「カエ~ル大学」と名づけてカエルをテーマにさまざまな学びを楽しむ場を設けました。年に4回の講座と白書の発行を行いました。今年からは年に1回、「カエ~ル大学登校日」イベントを実施いたします。

 今年(2024年)は10月5日(土)に喜多方プラザ文化センターで午後1時からトークイベントを開催します。お話いただくのは、広島大学教授の三浦郁夫先生。前々回の本連載では先生の研究の中でニホンアマガエルの色変わりについて紹介しました。広島大学両生類研究センターで長くカエルについて研究され、特にツチガエルの遺伝子の研究、新種サドガエルの発見など、カエルに関する論文を多数発表されているカエルの先生です。

 10月のイベントでは、ご専門のカエルの研究の話はもちろん、先生がカエルの研究の道を歩んで40年以上、その〝カエル人生〟についても語っていただく予定です。

 無料でご聴講いただけます。お申し込みは電話048―838―7360までお願いいたします。

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2024年7月20日 (土)

新札の発行で想い起す元祖カエル・コレクターと「我楽他宗」のこと/かえるモノ語りー自然と文化をつなぐカエル91

かえるモノ語りー自然と文化をつなぐカエル91

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<新札の発行で想い起す元祖カエル・コレクターと「我楽他宗」のこと>

100年カエル館

高山ビッキ

 

会津が生んだ偉人、野口英世先生が千円札に登場して20年。今月新しいお札が発行され、千円札は北里柴三郎先生にバトンタッチしました。

紙幣の発行といえば、100年カエル館で展示コーナーを設ける明治生まれのカエルのコレクター、小澤一蛙(おざわいちあ)さんは、生前定年まで造幣局に勤務していました。仕事柄お札には詳しかったと思います。

その一方で、カエルに関する何から何までを集める蒐集家であり、版画や都都逸(どどいつ)を楽しむ趣味人でした。小澤さんが趣味を極めていく四十代は大正時代に当たり、世の中に「趣味家」と呼ばれる人々を輩出しました。

彼らはグループをつくって活動していたのですが、その中でも最大の集団と呼ばれたのが「他宗(がらくたしゅう)」で、小澤さんも創設当初からのメンバーの一人。

その我楽他宗が、最近、静かに注目されています。

2021年に多摩美術大学で「我楽他宗―民藝とモダンデザイナーの集まり」展が開催され、その内容を基にした本『非凡の人 三田平凡寺―趣味家集団「我楽他宗」の磁力』(かもがわ出版)が今年刊行されました。

三田平凡寺という名前は、今は一般に馴染みがないかもしれませんが、その四女の方と文豪夏目漱石のご長男が結婚。二人の間に生まれ、漱石と平凡寺を祖父にもつ方が、漫画家・漫画批評家の夏目房之介氏で、本書の執筆者のお一人です。

「平凡寺」は本名ではなく、我楽他宗ではメンバーがそれぞれ山号・寺号をもち、お互いを札所として訪ね歩きました。「趣味山平凡寺」。因みに小澤さんは「天碌山蛙寶寺(てんろくざんあほうじ)」。諧謔精神(かいぎゃくせいしん)、遊び心に満ちた集まりでした。

自らを「平凡寺」と称するほど、幼少期の事故で聴覚を失っていながら、今でいうクリエイティブな面で非凡な才能を発揮して新聞等を通じてその名が知られていた三田平凡寺の存在。そして、当時の郵便や交通手段の発達も背景に、全国、そして海外へも広がった我楽他宗という趣味のネットワークへの再評価は、21世紀の今の時代を背景に映し出しても違和感がなく、むしろ学べることが多くあります。

 本館に常設で展示している小澤一蛙のコレクションの一部も、大正から昭和のはじめ、我楽他宗が今をときめく活躍をしていた時代を証言するものだと思います。その頃からカエルの置物を集め始めた私たちの祖父にも我楽他宗の影響があったかもしれないと思うのは、楽しい想像です。

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2024年6月16日 (日)

カエルの色彩変異とカエルアートマンがカラフルな理由/かえるモノ語りー自然と文化をつなぐカエル90

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<カエルの色彩変異とカエルアートマンがカラフルな理由>

100年カエル館

高山ビッキ 

 

 カエルの体色といえば日本では、グリーン系やブラウン系の印象が強いと思います。ところが近年、よく話題になるのが、水色、ピンク、黄色(金色)と色彩変異が見られるアマガエルの発見。今年も福岡県篠栗町の田畑で水色のニホンアマガエルが見つかり、飼育することになった地元の高校生によって「そら」と名づけられたことが新聞報道されていました。

 色変わりしたカエルは、毎年この季節になると話題になり、もちろん、大多数派のグリーン系のアマガエルと比べれば珍しい個体に違いないのですが、意外に多いのかもしれないとさえ思えます。発見の報告が増えた背景には、今世紀になってスマホやSNSが浸透しサンプル数が格段に増えたことも言われています。

 カエルの色彩変異に関する論文も発表している広島大学両生類研究センターの三浦郁夫教授によれば、カエルの皮膚には基本的に3種類の色素細胞(表皮側から黄色細胞、虹色細胞、黒色細胞の順で3層に配置)が存在していて、通常のアマガエルのグリーン系の色は「虹色細胞が青色付近の波長の光を外に返し、途中、黄色細胞の黄色い色素を通過するため、両色が混ざって発現する」(「カエルにおける色彩発現の遺伝的メカニズム」より)そうです。これに対して青いカエルは黄色素が欠損するなど黄色のフィルターがなくなって起こる現象。色彩変異はアマガエルだけでなく、アカガエルでもアオガエルでも起こり、それぞれの色素細胞の配置のしかたによって発現する色味に違いがあるようです。

 そのようなカエルの色彩変異のしくみを知って気づいたことがありました。現在、100年カエル館で展示しているスケッチ画の「カエルアートマン」が、日本に棲息しているカエルをもとに描かれているのにカラフルである理由です。

 作者の柴田まさるさんは生前定年まで印刷会社に勤めていました。印刷の仕事をすることで、ひとつの色の出現をCMYK(シアン・マゼンタ・イエロー・ブラック)の4色の掛け合わせで知覚するようになり、一種一種のカエルの体色を分解して視ていたのではないか、と。その証拠にカエルアートマンの絵を見た後に、併せて展示した前田憲男さんが撮影した同種のカエルに目を移すと、分解された色味が統合されて1つの色に返っていくように見えました。

10月5日に開催予定の100年カエル館トークイベントでは三浦郁夫先生にご講演をいただきます(会場・喜多方プラザ文化センター)。

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2024年6月 3日 (月)

「たのしい川べ」に住むヒキガエル氏のお屋敷を夢見て/かえるモノ語りー自然と文化をつなぐカエル89

かえるモノ語りー自然と文化をつなぐカエル89

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<「たのしい川べ」に住むヒキガエル氏のお屋敷を夢見て>

100年カエル館

高山ビッキ

 

 今年もしだれ桜で賑わった喜多方の4月。「喜多方さくらまつり」では、「桜ウォーク」が開催された日、100年カエル館のわきを大勢の参加者の皆さんが通って行かれました。

 同じ頃、本館からゆっくり歩いて100秒ほどの所にある濁川河川公園(にごりがわかせんこうえん)の土手沿いの桜並木も見頃を迎えていました。

 生家が田付川を望む土手沿いにあったので、川べは子どもの頃から身近な遊び場でした。建設会社を経営していた祖父が施工したと聞いていた昭和4年に完成した樒橋(しきみばし)(現在は新しい橋に架け替えられている)を起点に、そこからもうひとつ先にある橋までの周囲1キロにも満たない川べがすべての世界。

河原の石に絵を描いたり、夏休みに川べりの木の根元にカブトムシを捕獲するためにスイカを仕掛けたり(実際には捕獲に失敗し可哀想に思った近くの“おじさん”が自分のカブトムシを分けてくださった)、川風に吹かれながらお弁当持ち(ピクニックのこと)、友達と幼稚園を抜け出して川べに行き草地だと思った場所がぬかるみで足がずぶぬれになって……と、楽しいことも悲しいことも川べが教えてくれた気がします。

 イギリスの童話作家ケネス・グレアム(1859―1932)が20世紀初頭に書いた『たのしい川べ』の世界では、テムズ川の支流の川べで、モグラくんや川ネズミくんやアナグマさん、そしてヒキガエル氏が、喜怒哀楽のさまざまな感情を抱いて暮らしています。ヒキガエル氏はトリックスター的な存在で、冒険好き。何かに夢中になって危険な目に遭うこともあるのですが、川べの友達に助けられながら切り抜けます。このヒキガエル氏をモデルにして影絵作家の藤城清治氏が生み出したキャラクターが、昭和40年代の子どもたちの人気者ケロヨンでした。

 100年カエル館には「ヒキガエル氏」の人形も、「ケロヨン」のお弁当箱も展示しています。最近、喜多方の「たのしい川べ」の近くにも、童話に登場するようなヒキガエル氏のお屋敷があればもっと楽しいのではないか。そんなヒキガエル氏の夢とも100年カエル館を運営する私たちの夢ともつかない夢を抱いています。

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2024年4月25日 (木)

喜多方の桜の季節にカエルアートマンが発進しました。/かえるモノ語りー自然と文化をつなぐカエル88

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「カエルアートマン×20」展(100年カエル館洋室展示室にて)

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喜多方の日中線しだれ桜並木と濁川河川公園の桜並木(2024年4月15日撮影)

〈喜多方の桜の季節にカエルアートマンが発進しました。〉

100年カエル館

高山ビッキ

 

 「喜多方さくらまつり」が幕を開けた日の前日、100年カエル館の企画展が始まりました。

 カエルグッズを展示するミュージアムの同館が館内で開催する初の美術展。企画から広報、そして展示作業を経て完成しました。

 メインの展示作品は、本連載でも時々紹介させていただいたカエル好きのアーティスト、故柴田まさるさんが描いたスケッチ画によるカエルアートマン20体。一体一体をカエルの写真家前田憲男さんが撮影したカエルたちと併置すると、合体したかのように命が吹き込まれ、野山や水辺に飛び出していくイメージが湧きました。

 展示スペースは、普段テレビアニメなどで親しまれてきたカエルのキャラクターや、欧米の名作童話から生まれたカエルグッズなど「ファンタジックなカエルの世界」を紹介している洋室展示室。その壁や展示棚を使用してどんなしつらえができるかに腐心しましたが、カエルアートマンたちはいとも自然にカエルの「なかま」ごとの棲み分けを見せてくれました。

「なかま」ごとのテーマは6つ。

 科目に分けられたカエルのグループの中で、世界的にも大集団を形成しているアカガエル科でさらに名前にアカガエルが付くカエルから生まれた「正統派カエルアートマン」。

 かつて自然史上因縁の分布域のせめぎ合いが会津で見られた2種の「伝統系カエルアートマン」、好き嫌いが大きく分かれるヒキガエル科の「個性派カエルアートマン」、福島県出身の動物学者田子勝彌博士の名前が付けられた日本固有種の「田子四兄弟」、地球上を移動して分布域を広げる「開拓的カエルアートマン」、そして誰もが思わず「かわいい!」と感じる「かわいい系カエルアートマン」に分類して展示しています。

 百年前、欧米で博物画や自然観察からカエルのジェレミー・フィッシャ―をはじめ愛らしいカエルのキャラクターが生まれたように、日本のカエルが変身して生まれたカエルアートマンたちが発進しました。

 引き続き5月は3日から12日まで「カエルアートマン×20 日本のカエルがHENSHIN」を開催しています。

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2024年4月 8日 (月)

今年は京の都にもカエルアートマンが翔んで上洛。/かえるモノ語りー自然と文化をつなぐカエル87「ほっと・ねっと」2024年3月

かえるモノ語りー自然と文化をつなぐカエル87

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<今年は京の都にもカエルアートマンが翔んで上洛。>

100年カエル館 

高山ビッキ

 

毎年弥生三月、京都で冬の空気感と春の光りを同時に感じる機会があります。

さらに今年は、100年カエル館では春に開催する「カエルアートマン展」を9月に京都でも開催することになり、その打ち合わせも兼ねて訪ねました。

思えば私たちの「カエル文化」をテーマにした展示イベントは、京都とのご縁で始まりました。

まだ100年カエル館を創設する前の2002年。当時、東京・赤坂アークヒルズにあった、京都市の観光物産のためのアンテナショップ「京都館」で「京都に・恋し(小石)・カエル」展と題した企画展を開催しました。

カエルの魅力をその頃考えられるだけ詰め込んだ企画でした。タイトルは学生時代を京都で過ごした父が晩年、蛙を詠んだ俳句に「恋し」と「小石」を掛詞にしていたことがヒントになりました。

京の都に上洛するカエルたちのイメージで、10人以上のアーティストによる「小石カエル」が疑似藻の上で楽しく遊んでいるようにエントランスに展示。京友禅作家に染めて頂いたタイトル・タペストリーを天上から吊り下げて(写真)。

また会場空間のポイントにはカエルの案内役として喜多方から銅製、陶製、木製などの大きめのカエルたちを送って展示しました。

併設で同時開催した「京都の美術史に登場したカエルたち」では、「鳥獣戯画のカエル」(平安・鎌倉)、「織田信長の三足の蛙の香炉」(安土桃山)、「伊藤若冲のカエルの絵」(江戸中期)についてパネルで紹介。そして京都・大山崎にあるアサヒグループ大山崎山荘美術館からお借りした、明治時代に日本で活躍して京都とも縁のある英国人陶芸家バーナード・リーチの「カエルの絵皿」は実物を展示。現代作家の日本画も展示しました。

さらに京都中を歩き回って陶器、縮緬、和紙、蒔絵など京都ならではの工芸のカエルグッズを集めて販売しました。

関連イベントとして、大ガマが登場する歌舞伎「児雷也」で知られる河竹黙阿弥のひ孫で演劇研究家の河竹登志夫さんに「伝統芸能とカエル」についてお話して頂いたのも懐かしい思い出。

かなりヤンチャな企画でしたが、今も「伝説のカエルイベント」と言っていただくことがあります。振り返るとその後100年カエル館で企画するイベントの基本にすべてトライしたような気がします。

2024年秋、カエルアートマンが喜多方から京都に翔びます。

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喜多方とオーストリア、2地点をつなぐ魅力とカエル。/かえるモノ語りー自然と文化をつなぐカエル86「ほっと・ねっと」2024年2月

かえるモノ語りー自然と文化をつなぐカエル86

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<喜多方とオーストリア、2地点をつなぐ魅力とカエル。 >

100年カエル館 高山ビッキ

 

 今年1月、ある例会で喜多方の暮らしや観光などを座標軸にポジショニングして喜多方の魅力についてお話する機会を頂きました。

 私自身振り返れば、高校卒業後故郷喜多方を離れ、20年ほど前に100年カエル館を創設してからは、2地点居住の生活をするなかで、喜多方をいくらか外側から捉える視点をもつようになったのではないかと思いました。

 長く広告やPR誌等の制作に携り、首都圏を中心に各地を取材した経験に照らし合わせても、喜多方には他の地域にはない独特の魅力があると実感できたからです。

 そんな時、耳に飛び込んで来たのが「福島県郡山は東北のウィーン」。そう紹介するのはテレビ番組「ケンミンショ―(「秘密のケンミンSHOW極」)でした。郡山は08年に「音楽都市」を宣言し、若い世代を中心に合唱や管弦楽の活動をしている人が多く、ウィーンのような「楽都(がくと)」をめざしているようです。

 私は喜多方も、あえて言えばウィーンを含むオーストリアに似た魅力をもっているのではないかと考えていたところでした。

 今世紀の初めですが、オーストリア政府観光局の記者研修旅行に招待されて、首都ウィーン、音楽祭で知られるザルツブルク、山間にある温泉地のバート・ガスタインを訪ねました。

 その時感じたオーストリアの魅力と、今は旅するように暮らしている喜多方そして会津の魅力の共通点とは……。

 オーストリアワインと会津の銘酒、ウィーンのコーヒー文化と喜多方の蔵カフェ、アルプス山脈と会津の山々で楽しめる山歩きやウインタースポーツ、市民活動としての音楽や美術も盛んで、「塩の砦(とりで)」を意味するザルツブルグと塩川町は「塩」の歴史で繋がっているかのよう。

 ウィーンと同じく会津若松や喜多方も盆地の中に発展した街で、ウィーンにはミュージカルでも人気のエリザベート皇妃が住んだシェーンブルグ宮殿がありますが、会津若松には鶴ヶ城があり、幕末には武家の女性たちがまさに身を挺して守った歴史があります。

 そんな共通要素の重ね合わせが「まちづくり」に役立つこともあれば、グローバル都市としてさらなる魅力の発信につながることもあるのではないか、と。

 オーストリアでは陶磁器や銀器など工芸品ブランドのカエルと出合うことも多く、いくつか連れて帰りました。

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2024年1月30日 (火)

カエルアートマンに変身することもある日本のカエルたち/かえるモノ語りー自然と文化をつなぐカエル85「ほっと・ねっと」2024年1月

かえるモノ語りー自然と文化をつなぐカエル85

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<カエルアートマンに変身することもある日本のカエルたち>

100年カエル館

高山ビッキ

 

 カエルアートマンは4年前にデビューする予定でした。

100年カエル館が所蔵する故柴田まさる氏のスケッチ画を紹介する「カエルアートマン展」を東京・新宿の京王プラザホテルで開催する予定だったのですが、折しも発生した新型コロナウィルスの感染拡大で中止になりました。

 この4年間を振り返れば、世の中が停滞したように感じる時期もあり、一方でかつてないような現象も起こり、歴史の大きな転換期に遭遇した思いでした。

 昨年再開した本館は、今年、4月から11月までの月の前半の10日間ほどを開館いたします。そして、4月と5月には、4年前に中止となったその「カエルアートマン展」を同館内で開催します。

 本展の見どころは、私たちがアートマンと名付けた柴田さんのスケッチ画20点のカエルたちですが、キャラクター性を強調して描かれた1点1点に作者は何のカエルを基に描いたか、種名を手書きで付していました。

 トノサマガエル、ニホンアマガエル、アズマヒキガエルなど、一般によく知られていて福島県にも生息しているカエルもいますが、アイフィンガーガエルやハロウエルアマガエルといった、外国の研究者の名前などが付けられ日本のカエルとは思えない種名で、沖縄県や南西諸島に分布しているカエルもいます。

 身近な生きものとはいえ、名前と顔が合致しない可能性もあると思い、ここでもう一つの見どころとなりますが、カエルの写真家として広く知られ、日本のカエル全種を生息地に赴いて撮影されている前田憲男氏にご協力いただき、一体一体のカエルアートマンに同種のカエルの写真を併置させて展示いたします。

 自然の中で生活しているカエルをどんなふうに捉えてキャラクター化し、アート作品にしたのか、イメージを膨らませてご覧いただける展示になればと思っています。

 そして日本列島は、各地に時にカエルアートマンに変身するかもしれない(?!)、楽しいカエルたちが生息する生物多様性の土地であることをお伝えしたい。

 多くのカエルが繁殖シーズンを迎える頃。カエルの魅力を引き出す企画展を目指しています。

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